伝説のアメリカンショップは、六本木に健在!

  • 写真:江森康之
  • 文:小暮昌弘

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デスティネーション ショップ11:東京にセレクトショップがなかった時代、1973年創業の「アウトポスト」。

アメリカの田舎にあるショップをイメージしたそう。店の外には小田切明夫さん愛用の自転車が。

ここ数年、日本の老舗セレクトショップの「シップス」や「ビームス」が創業40周年という記念の年を迎えましたが、それよりも早く六本木でアメリカ製の洋服と雑貨を扱う、とても洒落た店がオープンしていたことをご存じでしょうか? 

それが、「アウトポスト」というショップです。アメリカ製の服を扱う店は上野や渋谷にいくつかありましたが、アメリカの生活雑貨を並べる店はこの「アウトポスト」ぐらい。しかもどれも見たことがないものばかり。海外に出掛けることも容易ではない時代でしたから、“憧れのアメリカ”を感じられる雑貨が「アウトポスト」の大きな“売り”だったのです。行くべき価値がある店をリポートするデスティネーションショップの第11回は、そんな伝説のインポートショップ「アウトポスト」を訪れて、ちょっとディープな当時のお話を伺いました。

アメリカを走り回って、服や雑貨を集めた。

アメリカのアウトドアショップを連想させる木をふんだんに使ったインテリア。アメリカ製のアウトドアウエアがいまも並んでいます。

「アウトポスト」があるのは東京・六本木。六本木交差点から歩いて4~5分、東京ミッドタウンなどが立ち並ぶ表通りから一本路地を入った場所にありますが、その場所はオープン当時とまったく同じ。店の外観やインテリアも変わりません。壁も床もウッディなインテリアで、その中に昔と変わらないベリーアメリカンな洋服が並んでいます。

「服だけをやる気は初めからなかったんですよ。そういうものを中心にした生活感のある店をやりたかったんです」と小田切さんが話しだします。

当時、洋服は輸入品でもなんとか仕入れられましたが、アメリカ製の雑貨は手に入れることが容易ではありませんでした。「最初は雑貨のほうが服よりも多かったくらいですよ」と笑いながら話す小田切さん。店内には当時販売されていた雑貨の商品が少しだけ飾られています。

このショップを始める前はグラフィックデザイナーをしていた小田切さん。笑顔が素敵です。

オーナーの小田切明夫さん、もともとは銀座でグラフィックデザイナーとして働いていました。

服が好きで、当時個人的に買い物に行っていたのは、上野・アメ横か渋谷道玄坂・百軒店の商店街です。日本製のジーンズも既に販売されていましたが、「リーバイス501」に代表されるアメリカ製のジーンズはなかなか手に入らない時代で、そんな商品を扱う店をやろうと友人と2人で「アウトポスト」をスタートしました。

実は小田切さんのご実家は六本木で質店を営まれていました。戦後、六本木には進駐軍が駐留していて、兵士たちが小田切さんの質店に洋服やジッポーのライターなどを質草として持ってきたそうです。

「アメリカ製品を初めて見たのはその時です。(製品を見て)アメリカってすごい国だと思いました(笑)。アメリカから映画もたくさん入ってきましたね。当時の人はみんなそんな経験をしていましたが、ジョン・ウェインが主演した西部劇を見て、あのジーンズ、なんだろうかと思ったものです」

アメリカでの旅で実際に使われたワールドアトラスの地図帳。カーナビもない時代だから、地図だけが旅の頼みの綱です。通ったルートに赤線で引かれています。

「アウトポスト」らしい雑貨を手に入れるために小田切さんが取った行動はアメリカに直接買い付けに行くことでした。1973年の夏、相棒と2人でカリフォルニアを目指し、そこで中古のフォルクスワーゲン・キャンパーを購入し、「ロードアトラス」という地図帳を片手に2人で東へと向かったそうです。

「現地に2年くらい住んでいる友人の日本人がいましてね。彼とメキシコ人が経営するクルマ屋に行ってワーゲンを安く買ったんです。街に着くとハンバーガーショップなんかに入って、なにか面白い店はないかと尋ねてその店に行くんです。スリフトショップ(慈善団体が経営する店)やアーミーネイビーサープラス(軍関係の放出品店)など、必ずどんな街にもそういった店が1軒か2軒はあるんです。買ったものをどんどんクルマに積み込んで次の街に向かうわけですよ。いろいろ寄り道しながら、2ヵ月かけてカンサスぐらいまでは行ったかな」

古いアルバムにはオープンした当初に輸入していたアンティークの扇風機やコーヒーミル、カメラなどの写真が。アメリカのフリーマーケットなどで手に入れたそうです。

小田切さんによれば、「アウトポスト」を開いた頃、原宿駅近くのスーパーマーケットなどでもアメリカ製の雑貨を扱っていたそうです。
しかしそれらは台所用品などがおもで小田切さんが望む雑貨はアメリカのスーパーマーケットで普通に売っているようなシンプルな文房具や生活グッズなどで、そういった雑貨はアメリカに行かなければ手に入れることはできなかったのです。その旅で小田切さんたちが見つけたものは雑貨だけではありませんでした。

当時のアメリカ、特にサンフランシスコを中心にした西海岸では、健康ブームもあってか、アウトドアスポーツが注目された時代です。
ブランドも多く生まれました。「ノースフェイス」「シエラデザインズ」など、今ではメジャーブランドになったアウトドアブランドが1960年代後半に設立され、小田切さんが訪米した頃は、学生を中心に街でも着用されるようになりました。
それも現地で買い付けましたが、それらは雑貨と並んで「アウトポスト」の人気の商品になりました。さらにはアンティーク調の電話機や生活雑貨までアメリカから輸入し、販売していたそうです。「服だけを売る店にしたくない」と決めた小田切さんの思いは確実に実現していったのです。

西海岸で出合ったアウトドアブランドが、日本でも一大ブームに。

目を輝かせながら、アメリカへの買い付けの旅の思い出を語る小田切さん。

小田切さんが「アウトポスト」を開いた後、ウェスタンショップの「シエラマドレ」が向かいのビルに移転してオープン、高速道路を挟んだ場所には「イン&アウト」などのブティックが立ち並び、その近くにもアメリカのインポート商品を扱う店などができ、当時、六本木駅周辺は洒落た店が集まる人気スポットでした。平凡出版(現マガジンハウス)の分室も近くにあり、『ポパイ』などもそこで編集されていたので、編集スタッフが店を訪れ、雑誌にもよく取り上げられるようになりました。

「雑誌関係のスタイリストの人もよく遊びに来ていましたよ。デザイナーの方も来店されて、たくさん買っていらっしゃいましたね」

壁に掛かっているのはデザートウォーターバッグ。素材が麻で、中に入れた水がにじみ出て蒸発することで中が冷えたままになる。昔の人の知恵が生み出した逸品です。
レジのあるカウンターに掛かった水筒と工事用のランプ。水筒は外のブランケットに水をかけておくと、砂漠で気化し水が冷える。ブランケットは飾りで付けられているのではないのです。こういうのはこの店でしか手に入らない雑貨でした。

アメリカの雑貨や洋服に憧れて小田切さんが海を渡った頃はまだ製品がアメリカで生産されていた時代です。1976年のアメリカ建国200周年に向かってアメリカ本国でも「アメリカ製品を買おう!」というムーブメントが起こっていました。

「『リーバイス』の646のフレアジーンズに『(アメリカ生産の)ラコステ』のポロシャツ、まだ『ナイキ』が出始めた頃でね。そんなスタイルをするのがステータスでした」

まだ見ぬアメリカ製品を求めて誰もがアメリカに夢中で、それがファッションの先端でもあった、そんな時代だったのです。

アウトドアバッグはコロラドのボルダー生まれのブランド「Hine(ハイン)」のもの。素材はナイロンで、収納力もある。¥36,720

「服で売れたのはやはりアウトドア系かな。『キャンプ7』のダウンジャケットは『ノースフェイス』よりも早く火がついて、よく売れました。ワークジャケットとかシャンブレーシャツも。『ビッグマック』のシャツが人気でしたね。『L.L.ビーン』の商品はアメリカ在住の友人に国内で通販してもらい、それを日本に送ってもらい店に並べました。アメリカでも少なくなったメイド・イン・U.S.A.の幻影を追いかけてアメリカに行きましたが、雑貨でもまだアメリカで生産されているものがあったのです、その頃までは」

ダウンジャケットは当時も相当高価なものでした。登山時に零下何度という気温に耐える、プロフェッショナルのための服だったからです。専門的な服だから大量につくる時代ではありませんでした。小さなファクトリーで地道に生産する、そんな時代だからアウトドアウエアの中にはアメリカ生産のものがまだ残っていたのかもしれません。

「有名なメーカーのものじゃないんですよ」と小田切さんは言うが、正真正銘のアメリカ製のフィッシングベスト。「アイディアル」でフィラデルフィア発のブランド。¥19,224
ホースハイド、つまり馬の革を使った「ロストワールド」のレザージャケット。ニューヨークの有名ブランドだ。「10年くらい前に入れたものかな」と小田切さんは笑う。¥105,840

「本当はニューヨークまで行きたかったのですが、安く買ったクルマの調子が悪くギアが入らなくなって、それで帰途に。2度目はニューヨークへ行こうと考えていましたが、いざ店を始めるとなかなか行けなくてね。そのうち洋服などを輸入する会社もどんどん増えて、商品もだんだんとフォローできるようになったんです」

アメリカへの旅を思い出しながら話す小田切さん。当時はアメリカのスタイルの一大ブームもあって、わざわざアメリカに行かなくても日本で仕入れられるようになったのです。アウトドアブランドの多くは大手の輸入商社などが扱うようになり、商品の手配は楽になりましたが、逆に宝探しのように珍しいアメリカものを見つける楽しみが薄れてしまったのも事実です。そんな気持ちが小田切さんの言葉から伝わってきます。フォルクスワーゲンのクルマで探し回った旅は、それほど興奮に満ちあふれたものだったに違いありません。

生活雑貨には、アメリカの文化があります。

棚には「SALE」の文字が。Tシャツなどもビニール袋に入れたものもあるので、コンディションは良好です。

いまでも「アウトポスト」のコンセプトやつくりはまったく変わりがありません。雑貨のほうはほかの店でもたくさん扱われるようになり、供給ルートも重なってしまうのでお休み中ですが、ウエアはアウトドアブランドを中心に、アメリカ生産にこだわった服が店内に並んでいます。店を訪れて気付いたのですが、棚には「SALE」の文字が並んでいました。

「いやね、いまは在庫品を整理して売っているんです。最近の商品もありますが、10年前くらいに仕入れた商品もありますよ」

小田切さんは笑いますが、アメリカ製のウエア、しかもデッドストックの商品だけを扱っているようなものです。しかも商品はどれもコンディションのよい状態で保たれているのです。いまでは新品ではあまり出合うことがない服や知らないブランドの商品に出合うことができます。

店内にあるアメリカの古い雑誌。値札をつけ、販売されているものもあります。
インディアンラグを敷いたケースの中には、マルチツールのナイフ類が並んでいます。

「アメリカものの店も、やりようによってはまだまだできると思うんです。そういった商品を扱う店も増えていますし、若い人も興味をもっていますから。だからといって、凝った店はやりたくないんです。店をつくる時から普通の街のジーパン屋さんでいいと思っているから。気取って、高価なジーンズを売るような店にはなりたくないので。アメリカを回った時に出合っった田舎の店、あんな店づくりがやはり理想かな」

まだまだ小田切さんは意気軒昂で、アメリカへの熱き思いも消えていません。

どこまでが商品でどれがディスプレイ用かわかりません。まるで博物館のようなショップです。

店内の壁に飾られた「デザートウォーターバッグ」という麻素材の水筒。筆者が1970年代にこの店を訪れた時に同じような商品を見た記憶があります。写真でしか見たことがないもので、これで水が本当に飲めるのかと思いましたが、そのデザインや本体に入る文字からアメリカを感じたものでした。

「これ、アンティークみたいなものは残っているかもしれませんが、いまはアメリカでもなかなか見ないですね。あの頃は普通にアメリカで売られていて、キャンプに行く人が買っていたんです。アメリカはね、服よりもこういう商品のほうが面白みがあるのです。アメリカの文化を感じることができるんですよ」

小田切さんが雑貨に注目したのは商品に興味があったのも事実ですが、アメリカの文化に触れたかったからです。「アウトポスト」では雑貨は扱わなくなってしまいましたが、当時小田切さんが熟読した洋雑誌(販売されているものもあります)がうず高く積まれ、アメリカを感じる音楽が店内を包み、アメリカの文化がいまも薫る場所なのです。

アメリカ好きにはたまらない商品が並んでいます。

「アウトポスト」とは軍隊用語で、斥候隊とか前哨隊の最初の拠点を意味します。流行の発信基地になればいいと命名されたのだそうです。

「映画『ランボー』の1作目でね、いろいろな道具を揃える店が出てくるんですけれど、なんとかアウトポストっていう名前なんですよ」と小田切さんが映画の1シーンを思い出しながら話します。

1970年代には小田切さんのような人たちがアメリカから直接商品を輸入し、個人で店を開きました。そして確実に日本のファッションの一翼を担っていたのです。どの店も独特の空気感が流れ、確かな個性を放ち、携帯もパソコンもない時代に若者が集ったのです。服そのものに興味をもっていたのも事実ですが、遠いアメリカの文化に対する、ある種の憧れだったに違いありません。

「まだ地方に行くとウチみたいな店があるでしょう。東京にも一軒くらいこんな店があってもいいでしょう」と笑う小田切さん。時には六本木でお酒を愉しむ前に、小田切さんの話に耳を傾けてみるのもいいのでは。(小暮昌弘)

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