ジャン・プルーヴェの世界観に浸る。

  • 写真:尾鷲陽介
  • 文:土田貴宏

Share:

3月16日まで恵比寿のSIGNにて、ジャン・プルーヴェのエキシビションが行われています。コンパクトながらも濃密なその展示の様子をレポートします。

構造美に表れた、先鋭的なヴィジョン

1901年にパリで生まれたジャン・プルーヴェは、アール・ヌーヴォーで知られるナンシー派の画家だった父のもとで、幼少期からものづくりのセンスを養いました。金属工芸を学んだ彼は、1920年代半ばから金属を使った建具や家具を手がけはじめ、やがて建築界の巨匠、ル・コルビュジエらから高く認められるようになります。「彼が手に触れ、構想するものはすべてがただちに優雅な造形的形態をとるとともに、強度的解決も、また施工方法も、まことにうまく実現されているのだ」。これはル・コルビュジエがプルーヴェを評した言葉で、彼の作風をきわめて的確に物語っています。


上段写真: SIGNのプルーヴェ展の展示風景。中央は1955年発表の「アントニーチェア」

左の「シテデスク」は1930年発表でナンシーの大学施設のためにデザインされた。右奥の円形のテーブルは「ゲリドン」
今回のSIGNのプルーヴェ展では、そんな彼の創造性を目の当たりにすることができます。まず特徴的なのは、鋼板を構造体として使った家具の数々。プルーヴェは、鋼板を折り曲げ、溶接することで、自身が求める構造やフォルムをつくり上げていきました。たとえば椅子のフレームなら、後脚ひとつとっても、その位置によってかかる力が異なります。プルーヴェは、その力を反映したフレームを実現するために、鋼板を用いたのです。つまり力のかかる箇所は太く頑丈に、そうでない場所は軽くしたわけです。1920年代以降に家具の素材として広く用いられるようになった鋼管では、そうはいきません。
「チェアNo.4」と「アントニーチェア」のフレーム。
会場の一角に展示されている2脚の椅子のフレームは象徴的です。上は後に「スタンダードチェア」と呼ばれる椅子の原型となった「チェアNo.4」。下はパリ近郊の学園都市、アントニーの学生寮のためにデザインされた「アントニー」。いずれもできるだけ少ない素材から最大限の力を引き出そうと工夫されているのがわかります。こうした考え方によって必然的なフォルムが生まれ、コストも抑えられるのです。実際、プルーヴェが手がけた家具は、学校などの公共施設のために大量受注されたものが多くありました。興味深いのは、彼が幼い頃から親しんだアール・ヌーヴォーも、自然の中の必然的なフォルムから多大なインスピレーションを得ていたことです。
1951年にデザインされた幼稚園用の椅子とデスクのセット。
展示されているプルーヴェの家具で、特に珍しいもののひとつに、1951年にデザインされた幼稚園用の椅子とデスクのセットがあります。これは、素材に鋼板を使いながらも、園児が自分で移動できるように軽さを重視した構造になっていました。この構造は、後に学生や大人のためのサイズへとバリエーションを増やしていきます。後ろへと伸びる後脚の直線的なシルエットがひときわ目を引きます。

貴重な資料が伝える未知のプルーヴェ

家具デザイナーとして知られるジャン・プルーヴェですが、彼は建築においても大きな功績を残しました。建物全体を支える構造材「ポルティーク」をデザインしたほか、建物そのもののプロデュースにもかかわっています。代表的なのは、時代に先駆けてプレファブ方式を取り入れた、比較的安価で効率のよい小規模住宅です。平面設計については、しばしば弟のアンリ・プルーヴェがその作業を担当していました。日本ではプルーヴェの建築を体験できる機会がありませんが、フランスをはじめとする国々にいくつか実例が残っているほか、デザインギャラリーを通じて当時製造されたプレファブ住宅が販売されることもあります。
1947年から49年にかけて制作された「メトロポールハウス」と「トロピカルハウス」の図面は、当時のアトリエ・ジャン・プルーヴェの出資元の建設部門だったステュダル社が発行した。
今回のエキシビションでは、「メトロポールハウス」と「トロピカルハウス」と呼ばれる2種類の住宅の図面が展示されています。これは1940年代後半にプルーヴェ兄弟によって構想されたもので、前者は戦後のフランスの住宅難に対応するため、後者はフランスの植民地だったニジェールやコンゴの住宅需要のために設計されました。いずれもスティール製のポルティークとアルミニウムの外装パネルを採用した、プルーヴェの美学がにじむもの。従来の住宅の姿とはあまりにかけ離れていたため、商業的には成功しませんでしたが、その意義は現代も評価が衰えていません。展示されている貴重な図面は、生前のプルーヴェとも面識のあったナンシー在住のコレクターが収集した資料を、SIGNが譲り受けたものです。
アトリエ・ジャン・プルーヴェ発行の家具のプロモーション用資料。
もう一方の壁面には、1951年にアトリエ・ジャン・プルーヴェによって発行されたプロモーション用印刷物が展示されています。当時のプルーヴェの家具や照明器具などのバリエーションを掲載したもので、一連の製品がどのような世界観を形づくっていたかが伝わります。この時期、彼の家具デザインへの熱意は最も高まっていたと考えられます。1949年、パリのギャラリーステフシモンが、プルーヴェの家具の販売代理人になったからです。このコラボレーションを通して、プルーヴェの家具は以前にも増して広く知られるようになったに違いありません。
アトリエ・ジャン・プルーヴェの書類から。
1949年にアトリエ・ジャン・プルーヴェが発行した家具の広告。大きく写っている椅子は、彫刻的な木のパーツが目を引く「カンガルーチェア」
実際の家具や建具だけでなく、プルーヴェにまつわる資料が豊富に紹介されているのは、このエキシビションの見どころです。現在、ジャン・プルーヴェの作品は、その希少価値によって注目されることが少なくありません。世界中のセレブリティやアートコレクターが、彼の家具を収集しているのは事実です。しかし当時の資料を見ると、彼の創造性があくまで社会の不特定多数の人々のために発揮されようとしていたのがわかります。

発想と構造を切り離すことはできない。

日本でジャン・プルーヴェの建築を見ることはできませんが、その創造の一端を感じさせるのが、建築部材としてデザインされたシャッターやパネルです。アルミニウムを素材とした屋外用のシャッターは、プルーヴェのもうひとつのトレードマークといえるもの。耐久性や耐候性が十分に考慮されています。SIGNが扱うのは、実際に屋外で数十年にわたって使用されていたものもありますが、現在もほとんど機能が損なわれていません。なお赤い張地の椅子は、1951年にデザインされた幼稚園用の椅子の構造を活かしたバリエーションです。


上段写真:奥は木の支柱とアルミニウムのパネルからなる1964年のシャッター。右は1956年の建築部材。

1962~65年のサンシャッター。現在も可動部部にダメージは見られない。
1962年から65年にかけて製造された屋外用のシャッターは、パネルの角度を変えることも、折りたたむこともできます。つまりブラインドと同じ機能を、アルミニウムを素材に実現しているのです。約50年前のもので、実際に使用されてきたにもかかわらず、現在も当時と同じように動かすことができます。アトリエ・ジャン・プルーヴェは、1949年からアルミニウム会社の出資を受けた関係で、この素材を用いた建材に力を入れました。この資本関係は、後年、結果的にプルーヴェの活動の足かせになってしまいます。しかし、まだ目新しい素材だったアルミニウムに対して、プルーヴェが創作意欲を燃やした時期があったのは確かでしょう。
「アントニーチェア」のジョイント部分。2枚の鋼板が成型合板製の座面を支えるユニークな構造。
家具についても、建築についても、独自の発想に基づく新しい構造や形態を発明してきたプルーヴェ。彼は自らの手で、また同じ志をもつ職人たちを集めた自身の工房によって、その発想を実際に形にしていきました。つまり発想と構造は、決して分断されない、一連のものでなければならなかったのです。たとえばひとつの家具のパーツの形状や、ジョイントの仕方に目を凝らすだけで、そこに息づく彼の思想が伝わってくる気がします。今回のエキシビションは、規模としてはコンパクトですが、そんな意味においてきわめて密度の濃いものです。
「ジャン・プルーヴェ 20世紀デザインの巨人」(Pen BOOKS/阪急コミュニケーションズ )のSIGN特装版。NIGOと八木保の対談を収録。¥4,380
店内では「ジャン・プルーヴェ 20世紀デザインの巨人」(Pen BOOKS/阪急コミュニケーションズ)の特装版も販売されています。この書籍はSIGNの協力のもと、プルーヴェが残した家具や建築を豊富な図版を交えて紹介したものです。

またSIGNでは、プルーヴェ展と同時期に「シャルロット・ペリアンと日本」展も開催。プルーヴェと親交のあったペリアンのデザインと日本との繋がりを、貴重なプロダクトを通じて見せています。やはり展示されているのはすべてヴィンテージ品のみです。
同時開催の「シャルロット・ペリアンと日本」展の様子。

ジャン・プルーヴェ展
〜3月16日(日)

SIGN
東京都渋谷区広尾3-2-13
TEL:03-3498-7366
営業時間:11時〜18時(18時〜19時はアポイントメントのみ)
休日:水曜
入場無料
www.sign-tokyo.net