初めてのプロジェクトとなったユニクロのニューヨーク旗艦店のことを、「いまでも忘れられないし、新しい店をつくるたびに初心に返る」とふたりは声を揃える。
佐藤 柳井さんと初めてお会いしたのは、もう15年も前。僕のデザインしたNTTドコモの赤い携帯電話を見て、ユニクロのグローバルブランド戦略を依頼しようと思われたそうですが、いま振り返ってもすごいご決断だなと。
柳井 あれは、いまでも欲しくなるデザインだね。時代を超えた、完成されたプロダクトだと思います。当時、僕は携帯電話を持ってなかったんだけど、すぐ買いましたから(笑)
佐藤 改めて、なぜ気に入っていただけたんでしょうか。
柳井 能力のある人が、ものすごく集中して完成させたんだろうなというのが、ひと目で伝わってきた。クライアントに迎合せず、それでいて我を通さず、相手が欲しているものを的確に表現できるのが真のクリエイターだと思うんです。このデザインを見てピンときて、少しお話しした後に「可士和さん、すぐお願いします」って言いました。いま思えば、よく引き受けてくれたよね。
佐藤 ニューヨーク旗艦店のディレクションの依頼でしたが、オープンまでの期間が9ヶ月くらいしかなくて。いま考えると、ぞっとしますね(笑)
柳井 本当に(笑)よくやり遂げてくれたなと感謝しています。
「可士和さんは、客観的かつ論理的に考える力と、デザイナーとしての感性が同居しているところが素晴らしい。ドコモの携帯電話には、それが明白に現れていますね」と柳井。
佐藤 確かに大変でしたけど、同時にものすごくワクワクしました。自分たちが日本代表として、世界に打って出るんだという使命感があって。
柳井 1000坪もの店を短期間でゼロからつくる訳だから無理難題なんだけど、無事オープンを迎えられたのは、可士和さんが経営者に近い感覚を持っていることも大きいと思う。自分だけのアイデアに固執せず、世界じゅうの才能をキャスティングして、強力なチームとして機能させたのは見事ですね。
佐藤 それは、柳井さんが引き出してくださった能力だと思います。他にも色々なポテンシャルを引き出していただいて、自分で言うのも何ですけど、かなり成長できたなと(笑)
柳井 クライアントとクリエイターが、お互いに高め合える関係であることが一番いいよね。可士和さんの場合、僕が思っていた以上のものをつくり上げてくれる。でもそれは、よく考えたら自分が思っていたものなんです。だから、クリエイターはクライアントの中にあるものを具体化する、翻訳家みたいなもの。いいクリエイターは、そこにプラスアルファの付加価値を足せる人ですね。
佐藤 期待通りだと、普通だなって思われてしまう。柳井さんの思っていることを、思っている以上につくって喜んでほしいんです。なかなか喜ばない方だから(笑)
柳井 お互いに、お客様に対するサービス精神が強いんだろうね。金銭の範疇を超えて、人に喜んでもらうために尽力を惜しまないという姿勢が根本にあるんだと思う。
世界のトップブランドが集まるニューヨークのソーホー地区に旗艦店をオープン。強烈な存在感を放ったのが、写真のカタカナのロゴ。「このフラッグが掲げられた時のうれしさは、今でも忘れられません」と佐藤。
ニューヨーク店のオープン時には、街角の至るところにユニクロのロゴが散りばめられた。カタカナのロゴが、“ポップで無機質ないまの日本”を鮮烈にアピール。
佐藤 お客様に対する思いを始め、柳井さんとは共感できる部分がすごく多くて。この15年、柳井さんの意図と大きくずれたことが一度もないのは、美意識や価値観を含めて、基本的な考え方が似ているからなんだろうと思います。
柳井 デザインの話だけでなく、どんな話をしても相通じるからね。そういう人は稀なんですよ。
佐藤 だからこそ、時間のないニューヨーク店の時も、すごいスピードで進めていくことができたのだと思います。
柳井 あの時は「社運が懸かってますから」とお願いして、プレッシャーがかかったかもしれないけど(笑)、僕はいつも会社を懸ける覚悟で仕事をしてるから。可士和さんも、ブランディングやクリエイティブの仕事に、一生涯を懸けているという真摯さがあるよね。
佐藤 ありがとうございます。僕も柳井さんに全面的な信頼があるから、いいことも悪いことも忌憚なく言えるんです。
柳井 バンバン言ってるよね(笑)。そこから議論を重ねて飛躍することもあるし。いわば、盟友のような関係かな。そこまで対等にぶつかり合わないと、お互いにいいクライアントといいクリエイターになれないと思います。