世界最長トンネルから巨大ダムまで、「スイス土木」の知られざる実力をご存じですか?

  • 文:青野尚子
  • 写真:西山芳一
  • 協力:在日スイス大使館

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いよいよ一般利用が開始される世界最長の鉄道トンネル「ゴッタルドベーストンネル」を筆頭に、その実力に注目が集まっているスイスの土木産業。知られざるその実力と魅力をご紹介します。

スイスを代表する産業といえば時計が思い浮かびますが、こうしたミクロの技術だけではなく、巨大構造物をつくりあげる「土木」も実は得意なのです。2016年6月には世界最長の鉄道トンネル「ゴッタルドベーストンネル」が開通して話題を集めました。この国を訪れた人ならばご存じのように、スイスの橋やダムはすっきりしたデザインで、見た目にもとてもきれいな印象です。そんな知られざる「スイス土木」の実力と、魅力をひも解きご紹介しましょう。

いよいよ一般利用が始まる、世界最長の鉄道トンネル。

「ゴッタルドベーストンネル」内で停車している特別試乗車「ゴッタルディーノ」。上に見える穴は換気のための縦坑です。

2016年12月11日(日)から、いよいよ一般利用がはじまる「ゴッタルドベーストンネル」。スイス南部、イタリアに近いアルプス山脈のゴッタルド峠を貫き、3月に開通した世界最長を誇る鉄道トンネルです。実はこのトンネルが開通する前は、日本の「青函トンネル」が世界最長を誇っていました。長年守り続けていた「世界一」の座を奪われた日本の鉄道ファンは、ひそかに悔しがっているそうです。

ゴッタルド峠を越える旧トンネルの路線。急な斜面をくねくねと登って行きます。

ゴッタルド峠では1882年、今回の「ゴッタルドベーストンネル」よりももっと標高の高いところにトンネルを掘って鉄道を開通させています。当時のことなので、工事はいまよりも困難なものでした。しかも列車はトンネルに入るまで山肌をくねくねと登っていかなくてはならず、通過するのに時間がかかります。今回はこのトンネルよりも標高で500mほど低いところに掘られています。全長は実に57Kmもありますが、時速200Kmで走る列車なら、20分以下で通過できるということになります。

「ゴッタルドベーストンネル」内の退避路に設けられた特別展示の風景。1882年に開通した旧ゴッタルドトンネルと、新トンネルの建設に尽力した人々の写真が飾られています。

一般公開に先立って、「ゴッタルドベーストンネル」では特別公開が行われました。特別列車はチケットを購入した人が乗車でき、通常10両以上の編成のところを6両だけの短い編成なので「ゴッタルディーノ(ちびゴッタルド)」と名付けられました。列車はトンネルのほぼ中央で停車、乗客は退避路として使われるサブのトンネルに特別に入ることができます。12月11日の正式な開通までの間、ゴッタルドベーストンネルの歴史を見せるギャラリーになっていて、パネル展示や17年の工期を5分程度にまとめたムービーの上映、そして記念スタンプの押印などが行われていました。

「ゴッタルディーノ」車内では、記念のお菓子とミネラル・ウォーターが配られました。

この退避路の入り口付近に車が一台、止まっています。開通後もここに置かれ、いざという時にはこの車で少しでも乗客を安全なところまで運べるように待機するとのこと。また、トンネルの壁にはスポンジのようなものが貼られていますが、これは吸音材で、叫び声が響いてパニックを引き起こさないようにするためのもの。事故を起こさないのはもちろんですが、もし起こっても被害を最小限に食い止める工夫がされているのです。

山岳国家・スイスを支える、巨大ダムや水力発電所の内側とは?

「エモッソンダム」全景。優雅なアーチに、思わず見とれてしまいます。このアーチ部分の全長は555m、上部は散歩をすることもできます。

続いて紹介するのは、こちらの巨大ダムです。「エモッソンダム」は、世界一の重力式コンクリートダム「グランドディクサーンスダム」に次いで、スイスでは2番目に大きな重力式コンクリートダムです。優美なアーチの外側に2億㎥以上の水をたたえています。このダムでは1970年代から水力発電を行ってきましたが、現在、新たに「ナント・ド・ドランス発電所」という揚水発電所を建設する工事が行われており、その内部に足を踏み入れることができました。

「ナント・ド・ドランス発電所」内部。発電した電気を各所に分ける分電器。これまた巨大です。

揚水発電所とは昼間に高い所から水を落として発電し、夜にその余剰電力を使ってポンプで水をくみ上げ、また翌日、水を落として発電する、というものです。エモッソンダムの上流には1955年にできたビューエモッソンダムがあり、この2つのダムの間の落差を利用して揚水発電所をつくろうというものです。既存のダムを使った揚水発電所の建設は非常に珍しく、たまたま2つのダムが近接して造られていたからできることでもあります。

建設中の「ナント・ド・ドランス発電所」の導水管。できあがるとこの中をすごい勢いで水が流れていきます。

地下につくられる発電所の工事現場に入れてもらいました。写真は上流のビューエモッソンダムから下流のエモッソンダムに水を落とすためのパイプです。直径は約7m。ものすごい迫力です。ビューエモッソンダムからこの地下発電所までの落差は425m。ここを落ちてきた水はその先の発電用タービンに送られ、現状の水力発電の約3倍の発電量になりますが、これはスイスでも1、2を争う発電量です。

発電するためのタービンを据え付ける穴。全部で6基のタービンが稼働する予定です。

スイスでは2011年の福島第一原発の事故をきっかけに、脱原発の動きが強まっています。将来的に原発が停止された際に不足する電力は、こういった水力発電や揚水発電などによってまかなわれることになっており、その意味でも期待の高いプロジェクトです。

工事中の「タミーナ橋」。細いアーチがきれいです。谷までの深さは約200メートルあります。

もう一つ、建設中の工事現場を見せてもらいました。スイス東部のプフェーファースとヴァランスという町の間にかけられる「タミーナ橋」です。橋桁の長さは417m、アーチの根元からもう一つの根元まで260m、スイス最長のコンクリートアーチ橋です。開通は2017年、工事は最後の追い込みに入っていました。

この橋はこれまで使われてきた道がたびたび地滑りの被害に遭うために計画されました。橋を挟んで両側に世界的に有名なリハビリ病院と学校があり、この橋が完成すれば行き来が便利になります。

横から見ると橋桁もアーチもほっそりとして、とてもきれいです。地震の少ないスイスだから可能なことではあるのですが、もう一つの理由として、土木のデザインに敏感な国民性もあります。この橋のデザインはコンペで決定しました。優勝したのは1939年に設立されたドイツの老舗設計事務所、レオンハルト・アンドレ・アンド・パートナーズです。景観を邪魔しない控えめなデザインであることが最大の決め手でした。

橋の上部に張り巡らされる予定の自殺予防の金網。わざと細い針金を使って、よじ登ろうとすると手が痛くなり登れなくなるという工夫です。

このコンペでは高さ150mの塔を建て、そこからケーブルを伸ばして橋桁を支える案なども出されましたが、自己主張が強すぎるという理由で却下されています。またこの橋に限らず、土木や建築工事で自然を破壊してしまった場合は、元の状態と同程度まで復元する義務もあります。復元する土地がない場合は他の土地を購入して自然を回復しなくてはならないそう。資源の少ないスイスは100年以上前から観光業が主要な産業となっており、とくに山岳観光は重要です。自然や景観を守ることは観光産業を守ることでもあるのです。

なぜスイスの“土木”は、デザインが優れているのか?

ルツェルンの「スイス交通博物館」の航空機展示コーナー。フライトシミュレーターなどもあります。

土木に関して面白い展示をしているところがあります。ルツェルンにあるスイス交通博物館です。2016年3月から、ゴッタルドベーストンネルの資料の展示が行われています。

「ゴッタルドベーストンネル」の掘削に使われた機械の先頭部分の実寸模型。かき氷器のようにこれが回転しながら掘り進めていきます。
「スイス交通博物館」の「ゴッタルドベーストンネルの」模型。直径は原寸大ですが、長さは約15m分です。

博物館の入り口では、このトンネルを掘るのに使われたトンネルボーリングマシンという機械の先頭部分の実物大模型が出迎えます。「シシ」という愛称がついていて、直径は8.83mもあります。館内にはゴッタルドベーストンネルの1,000分の1の断面図が展示されています。1,000分の1といってもトンネルが57㎞あるので、断面図は57mもあります。断面図の前には掘削中の写真やそこから出た石や岩などが展示されています。開通の瞬間、巨大な掘削機が顔を出したところで作業員が万歳している写真などもあって、ちょっとじーんときてしまいます。

港湾でのコンテナの積み下ろしを子どもたちが体験できるエリア。他に道路工事を体験できるコーナーもあります。

交通博物館には子ども連れも多いのですが、そんなご家族にオススメなのがこの「子ども向け土木工事体験ゾーン」。中庭に道路工事や港湾荷役を体験できるエリアがあるのです。子どもが使うのにちょうどいいミニサイズの重機や工具があり、実際に道路工事やコンテナの移動などを体験できます。自分たちがいつも通っている道路がどうやってできているのかを実地に知ることができる、ユニークなコーナーです。

「スイス交通博物館」に展示されている旧ゴッタルドトンネルを通る鉄道のジオラマ。この交通博物館がオープンする1959年の少し前、地元の有志が制作した模型を寄付されたそうです。

スイスではこの交通博物館だけでなく、土木の工事現場でも見学者のための小屋などがあり、スライドや模型で工事の目的や工法、進捗状況、予算を説明してくれます。子どもが見学に来た場合は、子ども向けにわかりやすく説明してくれるそう。こうして積極的に情報公開をしているのは、スイスが国民投票による直接民主主義を採っていることと関係があります。議会で決まった法令や開発計画に異議がある場合、一定期間に決められた数の署名を集めれば国民投票が発議できます。スイスでは26の州と約2600の市町村にも強い自治権が認められており、州や市町村ごとに投票が行われることもあります。

高レベル放射性廃棄物の埋設処理の研究をしている「モンテリ岩盤研究所」。「オパルナス」という粘土質の岩の中に埋めるという方法をリサーチしています。

土木事業は国民の税金で行われ、主にスイス国民が受益者となります。スイスでは国民投票があるため、おのずと「自分たちのもの」という意識が強くなります。またスイスはほかの国と国境を接しているので、ゴッタルドベーストンネルなど鉄道や道路の多くは他国の人々も利用することになりますが、その際の収支が適正かどうかもシビアに計算されます。環境の保全も重要です。前述したようにスイスでは観光が主要産業の一つであるため、観光産業に支障が出ないかどうかも判断の基準になるのです。

「モンテリ岩盤研究所」見学者用ブース。オパルナス粘土のサンプルなどが展示されています。

最近とくに人気の高いスイスのプロダクト・デザインですが、土木も同様に、細部にわたって気を配り造られています。トンネルやダムのような巨大構造物から時計の小さな歯車まで、大きいものから小さなものまであらゆるものが完璧にデザインされている国、スイス。日々美しいものと暮らすことができる国の秘密には、日本も見習うべきものがありそうです。(青野尚子)