和製ハードボイルド小説を通して見る、西新宿の土地事情。【速水健朗の文化的東京案内。西新宿篇①】

  • 文:速水健朗
  • 写真:安川結子

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スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京を、ライターの速水健朗さんが案内。過去のドラマや映画、小説などを通し、埋もれた歴史を掘り起こす。オフィス街として知られる西新宿は、数々の小説で「探偵」や「ハードボイルド」の舞台としても描かれている。その先駆けとなった作品を通し、西新宿の街の変遷を追いかけてみた。

速水健朗(はやみず・けんろう)●1973年、石川県生まれ。ライター、編集者。文学から映画、都市論、メディア論、ショッピングモール研究など幅広く論じる。著書に『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』などがある。

1920年代にアメリカで始まった「ハードボイルド」は、レイモンド・チャンドラーらにより確立されたミステリー小説のひとつのジャンルだ。アメリカで舞台となったのはロサンゼルス。一方、80年代の日本で「探偵・沢崎シリーズ」によって定着した、和製ハードボイルドの舞台は西新宿ということを知っているだろうか? 今回は、バブル期から現在までの西新宿の変化について、30年以上にわたって続く同シリーズを通して見てみたい。

高層ビルの隣に、古い雑居ビルが密集する。

日本にハードボイルドというジャンルを定着させた「探偵・沢崎シリーズ」。左から、『そして夜は甦る』(原尞 早川書房 1988年)、『私が殺した少女』(原尞 早川書房 1989年)、『さらば長き眠り』(原尞 早川書房 1995年)、『愚か者死すべし』(原尞 早川書房 2004年)。すべて私立探偵・沢崎を主人公とした作品だ。写真:青野 豊

1980〜90年代の新宿は、多くのハードボイルド小説の舞台だった。『新宿鮫』(大沢在昌 光文社 1990年)や『不夜城』(馳星周 角川書店 1996年)などがすぐに思い浮かぶが、これらの作品では東京の暗黒街として歌舞伎町が描かれている。一方、駅を挟んだ逆側は超高層ビルの広がる西新宿である。こちらには、また違ったハードボイルドの世界がある。

原尞のデビュー作『そして夜は甦る』(早川書房 1988年)で初登場した、探偵・沢崎の事務所は西新宿の雑居ビルにある。以後シリーズとなるが、2作目『私が殺した少女』(早川書房 1989年)で原は直木賞を受賞している。

小説の中の記述から、沢崎の事務所がどの辺りを想定しているのか探ってみる。まだ古いアパートやビルの残る十二社通り周辺も、候補地として考えられそうだ。

沢崎の事務所は「西新宿のはずれ」で、「低家賃の雑居ビルが密集する」地域にあるという。さらに「ほんの五百メートル南へ歩くだけで、超高層ビルが林立する新宿副都心に達する」というヒントがある。続いて詳細として、「三階建モルタル塗りの雑居ビル」で「東京オリンピックの年にマラソンの未公認世界記録なみの早さで建てられた代物」という記述もある。

新宿のこの辺りだろうとエリアの検討をつけてみる。柏木公園周辺や、いまの地下鉄西新宿駅の裏側である西新宿8丁目。再開発がまばらな地域で、古いアパートやビルのすぐ際に、真新しいタワーマンションが見えていたりする開発の境界線だ。もしくは十二社通り周辺も、事務所の場所に該当するエリアだろうか。開発が進んでいるが、少し路地を入るとまだ雑居ビルが残されている。

『そして夜は甦る』の時代設定は85年である。沢崎は、巨大電鉄グループに絡み、元新聞記者であるルポ・ライターの佐伯という男の捜索を依頼される。佐伯は巨大電鉄グループ総帥の娘と結婚していた。その総帥は美術評論家と経営者という二足のわらじを履いている。電鉄グループ自体は東急をモデルにしているが、総帥の存在は西武百貨店の堤清二を彷彿させる。

かつて千代田区丸の内に立っていた東京都庁。左下が本庁舎、線路を隔てて左上方に見えているのが第2庁舎だ。写真:毎日新聞社

ちなみに小説の後半では都庁舎を訪れる場面もある。当時の都庁は、新宿ではなくまだ丸の内の時代。都知事のモデルは明らかに石原慎太郎である。だが小説が書かれた時点で慎太郎は衆議院議員だった。慎太郎の都知事選への出馬は99年なので、小説で書かれたことが後に実現したことになる。そして石原裕次郎をモデルにした人物も登場する。財閥と芸能界と政界の黒いつながり。シリアスではなく、レイモンド・チャンドラーが映画界と財閥とギャングの街としてロサンゼルスを描いたことに対するパロディーだろう。

バブル期に起きた、地上げとその後。

副都心計画により、超高層ビルが建てられていった1974年の西新宿の様子。左から、新宿住友ビル、新宿三井ビル、京王プラザホテル。写真:新宿歴史博物館

街の歴史にも触れておく。60年代以前に地名として「西新宿」はなく、「柏木町」と呼ばれていた。その名が廃止された直後から、京王プラザホテル(1971年)、新宿住友ビルディング(1974年)、三井ビルディング(1974年)と副都心計画の名のもとで超高層ビルの建築が始まる。

72年に放映を開始した『太陽にほえろ!』は、「新宿副都心の発展の歴史を映像で残せるから」とプロデューサーの岡田晋吉が言ったように、発展途上の新宿を映したドラマでもある。初代主人公であるショーケン(萩原健一)時代のタイトルバックには当時唯一の超高層ビルだった京王プラザホテルが映っている。ショーケンは1年でドラマを降りたが、最後に死ぬ場所が建築現場というのが象徴的だった。

雑踏の場面では小田急百貨店や京王百貨店、容疑者追跡の場面では十二社通りと、開発最中の新宿が随所に映し出されている。『太陽にほえろ!』監督/竹林 進、澤田幸弘ほか 出演/石原裕次郎、萩原健一ほか 1972年 ドラマ DVD/日本テレビ 写真:青野 豊

80年代後半になると世の中は土地狂乱の時代に入るが、西新宿には少し先にそれが訪れていたようだ。沢崎シリーズ第1作の時代設定である85年は、都庁舎の移転が決まった年だ。同年、バブルのきっかけとして有名なプラザ合意も行われている。

『そして夜は甦る』には次のような描写がある。「信じられないことだが、低家賃の雑居ビルが密集する私の事務所のある区画から、ほんの五百メートル南へ歩くだけで、超高層ビルが林立する新宿副都心に達する。わずか一キロ四方の地域に、この街の老朽した顔と最新の顔が道路一つ隔てて鼻を突き合わせているのだ」

新宿中央公園の北側。西新宿6丁目辺りにはつい十数年前まで、バブルの混乱の痕跡がくっきりと見えていた。地上げで頓挫し塩漬けにされたであろう場所が、駐車場などとして残されていたのだ。そこは“地上げの帝王”こと実業家の早坂太吉が仕掛けた場所だった。

高層ビルの目と鼻の先に雑居ビルなどが密集する、西新宿6丁目の路地裏を散策。久しぶりに訪れてみると、開発が進んでいるものの、以前の雰囲気も残っていた。

早坂はバブル期の実話をもとに書かれた林真理子の小説『アッコちゃんの時代』(新潮社 2005年)でもモデルとして登場する。山形弁まるだしで、田舎の不動産屋のような風貌だったと、直接彼を知る人たちは同じような印象を抱く。

早坂の内縁の妻だった安達洋子の著書『冬の花火―地上げの帝王・早坂太吉との二千日』(日新報道 1991年)では、出会った当初である80年代の早坂の様子を振り返っている。バブル期のほんの数年前までの早坂は、女好きでも派手なパーティ好きでもない純朴な中小不動産業者の経営者だった。それが土地狂乱の時代が訪れ、ビジネスで扱うものもホテルやリゾートなど大型物件に変わっていく。いわゆる成金となり、金もうけの話に乗りやすい男のもとに怪しげな人々が集まり始めた。早坂はどんな競走馬にでもすぐに金を出してオーナーとなった。ある種の男たちは、早坂に水商売の女たちを近づけ、彼が気に入るように仕向けた。下半身の弱みをにぎろうとしたのだ。早坂は愛人にした女性に白いメルセデスベンツやマンションの部屋を買い与え、いちばんのお気に入りは所有するラブホテルの経営者に据えたりした。こうして気づくと早坂は女と酒にだらしない、金ですべてを支配する暴君に変わっていたのだ。環境が変われば、人はすぐに変化する。

早坂の転落も早かった。西新宿の地上げが問題となり、87年に国土利用法違反で書類送検された。さらに早坂の会社が倒産するのはバブル崩壊後の93年。その5年後に彼自身も自己破産した。地上げの跡地は街の中に取り残されていた。都市は人と違って、20年まったく変化しないこともある。

14年ぶりに刊行された原寮の新作『それまでの明日』(早川書房 2018年)。小説の背景に現代社会が反映されているが、沢崎だけは変わらない。写真:青野 豊

原寮が生んだ探偵・沢崎もシリーズを通し、バブル前後の新宿の住人であり続けた。原は2018年に14年ぶりとなる沢崎シリーズの新作『それまでの明日』を刊行した。この小説も西新宿の事務所から始まっているが、沢崎をめぐる状況は変化している。たとえば、彼以外は誰もが携帯電話をもつようになっている。また、沢崎の探偵事務所が入っているビルはオーナーの世代交代により取り壊しが予定され、立ち退きを迫られている。

小説は都市と犯罪を描き、その時代に伴う変化をも描く。だが探偵の沢崎だけは変わらないのだ。札束で頬を叩かれても、方針を変えないのがハードボイルドの探偵。沢崎の探偵事務所の立ち退き問題がどうクリアされるのかという結末については、ぜひ小説を読んで確認してほしい。


【西新宿篇②いまやノスタルジーとなった、西新宿の超高層ビル群を追う。】に続く。