写真を超えた“なにか”がそこにある。『永遠のソール・ライター』展を、写真家・藤代冥砂と訪れた。

  • 写真:齋藤誠一
  • 文:猪飼尚司

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東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の展覧会『永遠のソール・ライター』展を、写真家の藤代冥砂さんが訪問。藤代さんの目に、ソール・ライターの写真はどのように映るのか? ともに会場を巡りながら、話を聞いた。

Bunkamura ザ・ミュージアム『永遠のソール・ライター』展を訪れた藤城冥砂さん。まずは会場全体をぐるりと回る。藤代さんが見ているのは、写真集『Early Color』(2006年、シュタイデル社)の表紙にも選ばれた1957年撮影の『板の間』。

ニューヨークを拠点に活動をしていた写真家のソール・ライター(1923~2013年)。1950年代から第一線のファッション・フォトグラファーとして活躍しながらも、81年にスタジオを閉鎖。忽然と姿を消し、業界との接点を一切もたなかった彼だが、その後もたゆむことなく写真を撮り続け、80歳を過ぎた頃に再び、その才能は脚光を浴びる。

日本では、2017年に初の大回顧展をBunkamura ザ・ミュージアムで開催。そして、そのソ―ル・ライターが今年再び、未発表作品とともに同会場に帰ってきた。

写真表現を超えて、人間の普遍的な部分を見せる。

ソール・ライター『高架鉄道から』1955年頃 発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation

同展を訪れたのは、2017年の展覧会にも足を運んだという写真家の藤代冥砂さん。旅、家族、山、ヌードと幅広いタイプの写真を撮る藤代さんは、ソール・ライターの作品をどのように鑑賞し、どのように感じたのだろうか?

「今日は事前情報をなにも入れずに来たので、まっさらな気持ちで拝見します」

そう言って会場に足を踏み入れると、歩みのスピードを緩めることなく、どんどん先へと進んでいく。

「僕の展覧会の見方は“逆走型”。まずはざっと最後まで行って、出口から入り口へと戻りながら観るのが常なんです。順路通りにじっくり見ていると、作品のパワーに負けて途中でスタミナ切れすることがあるので、この鑑賞法が身に付いちゃいました」

藤代冥砂(ふじしろ・めいさ)●1967年、千葉県生まれ。2011年より沖縄在住。代表作に『もう、家に帰ろう』『あおあお』『山と肌』『90Nights』など。2020年は、写真関係の新書を2冊、新作写真集2冊を上梓予定。1日1枚、ライカR6.2で息子の写真を撮り続けている。
雪の降るニューヨークで赤い傘をさす人々を撮ったシリーズは、ソール・ライターの代表作のひとつ。

ゆっくりと会場を“逆走”しながら、藤代さんはぽつりと言葉を漏らす。

「とても不思議な感覚に捉われますね。写真を観ているのに、実際に鑑賞しているものは写真じゃないような。明確に言葉にできないもやっとした感じだけど、とても心地よい」

ライターの写真は、独自の色彩感覚や構図に評価が集まることが多い。藤代さんはその事実を認めながらも、こう付け加える。

「気高く、よい匂いが漂ってくるよう。写真表現を超えて、そこに見え隠れするのは、『生きる』とか『呼吸をする』といったような、人間の普遍的な部分を見せている気がしてなりません」

ソール・ライター『セルフ・ポートレート』1950年代 ゼラチン・シルバー・プリント  ⒸSaul Leiter Foundation

写真を超える感覚をもつ、ライターの写真。藤代さんは、ライターと対照的な存在として、同時期に活躍したアメリカの写真家、リチャード・アヴェドンを例に挙げる。

「アヴェドンの写真は圧倒的。被写体と対峙し、その魅力を写真でぐっと引き出している。写真はファインダーで世界を切り取る表現だとも言われますが、対してソール・ライターの作品は、世界のどこかにつながっている『ドア』のような存在に映ります」

父が望んだユダヤ教のラビとして生きる道から逃れた人生、そして第一線のファッション・フォトグラファーとしてのキャリア。約束された世界に収まることなく、自由に生きたライターの精神性も関連しているのかもしれない。

ベージュ色の壁に額装されたプリントが整然と並ぶ会場。ゆったりとした気持ちで静かに作品と対峙することができる。

描く行為そのものを楽しむようなペインティングも。

流れるように作品を鑑賞していく藤代さん。「ソール・ライターの写真はいろんな捉え方ができるのが面白いですね」

写真展を見た後は、自分もプロの気分になってちょっと写真にトライしてみようという気分になることがあるが、ライターの展覧会は、どこかに出かけたいという気分にさせると藤代さんは話す。

「ちょっと視点を変えるだけで、いつでもどこでも新しい世界に触れることができる。彼の写真はそんなことも教えてくれる。新しい世界を見るためには、高い写真技術も完璧な風景もいらない。まだ見ぬ世界、新鮮な感覚は実に身近な場所にあるんだよ、と語りかけているようです」

ライターは写真とともに、水彩を中心とした多くの平面作品も残している。
「写真も素敵ですが、僕は彼の絵がすごく好き。身近な題材をさっと描いていたんだろうなと想像できます」

会場には写真の他に、ソール・ライターが手がけたペインティング作品も展示されている。画用紙いっぱいに大胆な筆運びで描き出される豊かな色彩。習作のためだろうか、いくつもの小さなノートにも水彩画を施している。

「ノートの種類はバラバラ。『こうでなければいけない』というこだわりはあまりなく、描く行為そのものを楽しんでいるみたい。こうやって人に観られたいなんて野心をもたない、純真無垢な人だったのかな」

芸術家の中には、思い通りの表現にたどり着けず、苦しい時代を過ごす人もいる。

「ソール・ライターの作品には、そうした暗い部分が微塵も感じられません。鑑賞していて心地よいので、知らないうちに時間が過ぎてしまいますね」

1940年代に父と撮影したセルフ・ポートレートを目の前に立ち止まった藤代さん。「決まったレールの上を歩くのではなく、ソール・ライターはきっと自分で状況を切り開いていったんですね」

ライターが撮影していた場所は、ニューヨークのイースト・ヴィレッジにあった自宅兼仕事場の界隈に限定されており、特別な場所に撮影旅行に出かけることはほとんどなかったという。

「写真を超えたところにあるものを捉えることは、多くの写真家が目指すべきポイント。ソール・ライターはとても純粋な気持ちでカメラを構えていたような気がします。もしかしたら、写真は彼にとって偶然出合った自己表現ツールのひとつにすぎなかったのかも」

空気が澄んだ森の中を歩くような、静かで心地よい写真群。

本展には、写真、絵画など200点以上の作品が展示されている。

また、ライターが残したポジフィルムをスライドショーとして壁面に投影。暗闇のなか次々に映し出される美しい映像をゆっくり眺められるスペースも、本展では用意されている。

「ソール・ライターは、友人を自宅に招いては、こうしたスライドショーを一緒に見ていたとのこと。僕自身は近しい人と自分の作品をともにシェアする機会はないので、ライターが当時どんな気持ちでやっていたのかを想像してみるのも面白いですね」

デジタル展示『ソール・ライターのスライド・プロジェクション』を眺める藤代さん。「こうして見ると、写真というのは立ち止まるものではなく、通り過ぎていくものなのかもしれませんね」
仕事と私生活ともにライターのパートナーだったソームズ・バントリー。藤代さんが足を止めたのは、彼女のために1977年にインクで描いたモノクロ作品『ソームズに愛を込めて』。

作品と対峙する時、そこに写っていないもの、描かれていないことを想像するのが好きだと藤代さんは語る。

「僕は作家の内面を探ることに興味があるんです。ソール・ライターの作品は、言葉の形跡が希薄。荒木経惟さんに代表されるように、写真家の中には言語的要素を強く取り入れた作品を手がける人も少なくないのですが、ライターの作品は作為的じゃない分、鑑賞者も想像を自由に広げていくことができる。そこにある空気感は清々しく、触れるほどに気持ちが軽やかに、透明感に満ちていくのです。作品一つひとつが、とても静かで心地よい。なんとも説明しきれない不思議な感覚は最後まで残りますが、澄み切った空気が漂う森の中を散歩したような、素敵な時間でした」

ソール・ライター『バス』2004年頃 発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation
「芸術家にとって、創作活動って孤独なものだと言われるんですが、ソール・ライターは常に好きな人々に取り囲まれて愛されていた印象を受けますね」と藤代さん。

ライターが撮ったこの1点の写真というより、作品全体から得る感覚が印象的だったという藤代さん。会場でゆっくりと時間を過ごし、展覧会を見終えた感想をこのように話す。

「写真が好きな人はもちろん、芸術に詳しくなくても、きっと楽しめる展覧会だと思いますよ」

『ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター』

期間:2020年1月9日(木)~3月8日(日)
開催場所:Bunkamura ザ・ミュージアム
東京都渋谷区道玄坂2-24-1 B1F
TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間:10時~18時(金曜、土曜は21時まで) ※入場は閉館30分前まで
休館日:2月18日(火)
入場料:一般¥1,500(税込)
www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter