ウィリアム・クラインと11組の写真家たち。彼らは「都市」になにを見たのか?

  • 写真:江森康之
  • 文:青野尚子

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週末の展覧会ノート18:六本木の21_21 DESIGN SIGHTで、巨匠ウィリアム・クラインをはじめとする12組の写真家たちによる、都市をテーマとした写真展が開催中。その模様をレポートします。

東京・六本木の21_21 DESIGN SIGHTにて開催されている展覧会「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」。オープニングに多数の報道陣が詰めかけたそのわけは、今年90歳になる巨匠ウィリアム・クラインが、数十年ぶりに来日し、顔を見せたからでした。写真というジャンルを超えて影響を与えたクラインと、11組の写真家たちがとらえ、表現する都市の姿とは一体どのようなものだったのでしょうか? プレビューの様子からご紹介します。

「カオスと熱気、トウキョウに来た興奮は50年前と変わらない」

展覧会にあわせて来日したウィリアム・クライン。現在はパリを拠点に活動をしています。

展覧会のオープニングにあわせて来日した、ウィリアム・クライン。今年90歳になる彼のキャリアの始まりは、1956年に出版された写真集「ニューヨーク」でした。それまでの写真のタブーを破った、ブレ・ボケ・アレといわれる画面はいま見ても強いインパクトがあります。ショッキングな構図、カメラに向けられた射るような視線、激しい風が吹き荒れているような荒々しさといったそれまでにない表現は、賛否両論を巻き起こしました。

その後「ローマ」「モスクワ」「東京」など、都市をとらえた写真集を出版。大通りから路地まで、光の当たる場所から暗がりまで、あらゆるところを走り抜けるように写しとってきました。1960年代半ばからは写真をやめて映画に専念するようになり、「ポリー・マグー お前は誰だ?」など約20本の作品を撮影します。80年代からはまた写真に戻り、拡大したコンタクトプリントにペイントする、デジタルカメラに挑戦するといった試みを展開しています。

来日したクラインは東京の印象を聞かれて次のように答えました。
「1961年に初めて東京に来たとき、心地よいカオスと熱気に興奮を覚えた。50年以上たってまたいま訪れてもその興奮は変わらないね。21_21 DESIGN SIGHTの近く、六本木の大通りを見ると巨大なおもちゃの街のようだと思う。カラフルで、たくさんのタイポグラフィや写真、あらゆるものがあふれていて、ゲームの中か、夢の中にいるような気持ちになれる」

集まった報道陣に向かってカメラを構える。常にカメラは手放しません。今回の東京滞在でも街中に繰り出して撮影していたそう。

ニューヨーク出身のクラインは兵役でヨーロッパに赴任したのをきっかけにパリで絵画の勉強を始めます。短い期間ですが、画家、フェルナン・レジェのもとで学んでいたこともありました。

「美術学校に行くか、誰か画家のところに弟子入りするか迷ったんだけれど、フェルナン・レジェの絵に興味をもったんだ。率直に言って彼の作風は当時、流行遅れと思われていたけれど、人や都市を描いた彼の絵にわくわくした。彼がいかにして20世紀的なビジョンを獲得したのかを理解したいと思った。レジェのもとにいた経験は東京が巨大なおもちゃの街に見えたりするような、新しい都市の見方をするのにつながっていると思う」

ニューヨークを離れてパリを拠点とすることにしたのは、「ニューヨークの喧噪が行き過ぎているように感じた」からだと言います。

「でもいまはニューヨークのストリートや家の扉、塀などの写真が大切なものに思える。心揺さぶられる思い出になっているね」

展覧会ディレクターの伊藤俊治さん。写真を中心に評論・教育の分野で活躍しています。おもな著書に『写真都市』(冬樹社)、『20世紀イメージ考古学』(朝日新聞社)など。

今回の展覧会ディレクターを務めたのは写真評論家の伊藤俊治さん。写真に関する著書も多く、1985年に東京で開かれたクラインの個展に関わったこともあります。

伊藤さんは展覧会タイトルの「写真都市」について、次のように明かしました。
「写真が写しとってきた都市、写真でつくられた都市、写真が想像してきた都市。この3つの視点から展覧会を構成したいと考えました」

展示の最初に現れるウィリアム・クラインの作品やポスター。彼が見た都市の様相が提示されています。
クラインの最新作品集『ブルックリン』と撮影時に使用したデジタルカメラ。彼にとって撮影することは生きることそのものです。

展示はクラインの写真を大胆にレイアウトしたインスタレーションから始まります。大きく引き延ばされた都市の風景が壁に、その前にはコンタクトプリントのペインティングや映画のポスターなどが立体的に配置されています。ガラスケースの中には「東京」の初版本や近作「ブルックリン」の撮影に使ったデジタルカメラも。この時点で早くもクラインの熱量にノックアウトされてしまいます。

都市を見つめ、その表情を切り取っていく作家たち。

ウィリアム・クラインとTAKCOMのコラボレーションによる映像インスタレーション。クラインが撮影したニューヨーク、ローマ、東京、パリの各都市が次々に現れます。

次の展示室では日本の映像作家TAKCOMとクラインとのコラボレーションによる映像インスタレーションが展開されています。

「クラインさんがデジタル時代に仕事を始めていたら? という仮定で実験をしてみました。彼の写真の力強さを感じてもらえれば、と思います」(TAKCOM)

壁に投影されているのは文字通り影であって実体ではないのですが、ざらっとした手触りを感じさせるのはやはりクラインの写真の密度によるものなのでしょう。写真やタイポグラフィが切り替わっていくリズムやスピードはTAKCOMの構成ですが、その手つきは確かにクラインのものだと思わせます。

ニューヨークを拠点にしている安田佐智種さん。福島県相馬市の被災地を撮った作品は巨大な“絵巻”となっていて、右から左へと時間軸が流れる構成になっています。

続いてギャラリー2と呼ばれる大きなスペースからは、日本やアジアの若手写真家にクラインがどのような影響を及ぼしたかをさまざまな形で見ることができる展示になっています。

白い四角形から放射状にビルなどが広がる写真と、グリッド状に地面や木のデッキなどが並ぶ写真は安田佐智種さんの作品です。前者はニューヨークの9-11同時多発テロ跡地の「グラウンド・ゼロ」にある展望台から周囲を見下ろして撮ったもの。2点目は東日本大震災で被災した福島県南相馬市の住宅地を撮影したものです。津波で流されてしまった住宅の基礎や土地を一部屋ずつ分解してコラージュしています。

「南相馬の自宅に戻りたくても戻れない、コミュニティが再生できない。そのコミュニティが想像の中ででもいいから生まれるといいな、と思ってつくりました」

多和田有希の作品。波の泡だけが残るように切り抜いています。無機物であるはずの水が生きているようにも感じられます。
自作を説明する多和田さん。都市の写真が切り抜かれ、ねじ曲げられて別の次元へと変貌していきます。

多和田有希の作品は自ら撮影した写真の表面を削ったり燃やしたりしたものです。印画紙に穴があいた、写真というよりオブジェのようなものもあります。

「表面を削る作品の場合、できあがるまでに1カ月から3カ月ぐらいかかります。毎日写真と向き合って、自分の中で都市のイメージがどう変わっていくかを見つめています」

勝又公仁彦「Unknown Fire」シリーズ。発電所のそばで火を焚いて撮影したもの。電気という近代のテクノロジーによるエネルギーと、火という原始的なエネルギーを対比させています。

勝又公仁彦の連作は光やエネルギーがテーマになっています。「Unknown Fire」は発電所の近くで焚いた火を撮ったもの。「Panning of Days」では同じ場所を異なる日や時間帯で撮影し、それを合成しました。時間帯によって違う光が重なり合って、見慣れた街角であっても見たことのない風景が生まれます。火は根源的なエネルギーであり、その火を制御することで電気などのエネルギーが生まれます。地方でつくられた電気は都市に送られて街を照らします。「Skyline」のシリーズで画面の大半を占める都市の上空には、そんなエネルギーが充満しているかのようです。

須藤絢乃『面影』。都市で生きる他人の顔と須藤さん自身の顔を合成しています。存在しないはずのもう一つの人生が浮かび上がります。

須藤絢乃の作品は都市と人との関係性を感じさせます。「幻影」は実際に行方不明になった少女に須藤さんがなりきって撮影したシリーズです。

「行方不明になってしまうのは悲しい出来事だけれど、いなくなったときのエピソードなどを調べて、いなくなる前の女の子に焦点をあてています」

もう一つの「面影」はいろいろな人に声をかけてポートレートを撮らせてもらい、須藤さん自身の顔と合成したシリーズです。この作品は「世の中には自分とよく似た人がもう一人いる」という都市伝説と関連しています。他人でもひとたび『私だ』と思うとそう見えてしまう。あるいは「もし自分が彼/彼女の人生を歩んでいたら?」と思うこともあるでしょう。たくさんの人とすれ違う都市で起こるアイデンティティの揺らぎがにじみ出るようです。

西野壮平の作品(一部)。ヨーロッパなど、世界中の街を歩いて撮った大量の写真を切り貼りしています。彼が歩いた軌跡が1枚の写真に凝縮されています。

細かいモノクロ写真がびっしりと貼り込まれた都市の風景は西野壮平によるもの。世界各地の都市に赴き、2、3カ月ほど歩き回って自ら撮った写真を貼り込んでつくります。1つの作品にはおよそ4万枚もの写真がつかわれているそう。

「1枚1枚が僕自身の記憶であり、すべての作品が自分の足跡なんです」

見ていると観客もその都市を歩いているような気持ちになります。平面でありながら都市の建物や道路、空などの空間が凝縮されているような作品です。

写真というメディアは、都市とともに発達してきた。

沈昭良が撮った台湾のステージトラック。写真のほか、組み立てから撤去までの24時間を撮った高速度撮影映像も展示されています。

夕闇の街をぎらぎらと照らし出す派手な装飾のトレーラーは台湾でよく見られる「ステージカー」「ステージトラック」と呼ばれる車です。台湾を代表する写真家、沈昭良はこの舞台になるトレーラーを追いました。使わないときは四角い箱のような形ですが、開くと中から色鮮やかな絵や照明が現れる仕組みです。台湾ではこの“移動する舞台”で歌謡ショーやマジックなどが行われます。ショーをするトレーラーの前で食事をすることも。都市の喧噪が切りとられて移動しているようにも見えて、日本とはまたちょっと違うエネルギーを感じさせます。

白い柱の4面に写真がかけられているのは石川直樹+森永泰弘の展示。サウンドアーティスト、森永さんが鳥の声などを組み合わせています。
左が石川さん、右が森永さん。水と生命が存在する希少な惑星、地球の時間とスケールを感じさせる展示です。

ギャラリー内に柱のように林立しているのは石川直樹+森永泰弘の作品です。写真家の石川さんが北極や南極などの極地に暮らす人を撮った写真に、サウンドアーティストの森永さんがフィールドレコーディングした音が組み合わされています。極地というと都市とは逆のもののように思えますが、人間が暮らすことができる極限の地は都市のフロンティアとも言えます。

写真集『Long hug town』から100点以上のカラー写真を壁一面に展示している水島貴大。街を漂流するかのように動いていく人々がとらえられています。
『Long hug town』について話す水島さん。彼自身も街をさまようように歩いていた経験があり、街ですれ違う人を撮る視線にもその過去が現れているようです。

水島貴大は街やストリートをさまよう人々を直感的に撮っているようです。壁には100点以上の写真が並び、彼らのエネルギーが音をたてているように感じられます。賑やかな色合いの写真にはいまこの瞬間にも街では人々が泣いたり笑ったりしている、そのうねりが表現されています。

韓国出身の朴さんの写真は巨大な水族館の水槽とその前の人々を撮ったもの。水槽の中の魚と街の中の人々にはなにか共通したものがあるのかもしれません。

「見えるものではなく、見えないものを感じる」というのは朴ミナ。水族館の大きな水槽と、それを見ている人々の写真が並びます。透明な水槽の中には大量の水があり、そこを魚が泳いでいるのですが、私たちはそれに触れることはできません。写真に写ったものを知覚することはできるけれど、写しとられたものの感触を確かめることはできないのに似ています。

サンクンコートに展示された藤原聡志の巨大な作品。大きく引き伸ばされた人体が、これまで見えてこなかった人と都市との関係性をあぶり出します。

サンクンコートの上からかけられた巨大な布にはよく見ると、男性の顔が写っています。ベルリンを拠点にする藤原聡志の作品です。実物より遙かに拡大されているため、一見しただけでは抽象的な模様のようにも見えます。写真自体はストレートなものなので、服の布の感じも肌も髪もきっちりとリアルに感じとれます。写真の空間性、身体性について考えさせる作品です。

「写真の発明は近代都市の発生とほぼ同じ時期のできごとでした。写真は都市で暮らす人々の新しい感受性をすくいとりながら発達してきたメディアなのです」と展覧会ディレクターの伊藤さんは言います。このわずか200年足らずの間に都市も写真もテクノロジーの発達によって様相を変えてきました。それにつれて私たちが自分たちの身体や精神をどうとらえるか、といった感性も変化しています。「写真都市」展に登場する写真家たちが見せる人々や光、エネルギー、時間は、私たちが見ているようで認知していなかった都市の姿をあぶり出しているのです。

『写真都市展』が開催されている21_21 DESIGN SIGHT入り口。ショップではディレクターや各作家の関連商品が並びます。

写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−
開催期間:2018年2月23日(金)〜 2018年6月10日(日)
開催場所:21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー1&2
東京都港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデン
開館時間:10時〜19時(入場は18:30まで)
休館日:火
入場料:一般¥1,100(税込)
www.2121designsight.jp