風景を抽象化する写真家、マイケル・ケンナ。日本初となる回顧展を見逃すな。

  • 写真・文:中島良平

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イギリス出身の写真家、マイケル・ケンナが写し出すのは、心象風景と表現したくなるような詩的なモノクロームの風景。その45年に及ぶキャリアをたどる『マイケル・ケンナ写真展』が、東京都写真美術館で2019年1月27日まで開催されています。

中央の『Trees, Richmond, Surrey, England』(1975)を撮影したのは、マイケル・ケンナが写真家のアシスタントをしていた時代。水をヴェールのように捉えるケンナの原点とも呼べる作品です。

これまでに世界各地で約450回の個展を開催し、70タイトルに及ぶ写真集を手がけた世界屈指の風景写真家、マイケル・ケンナ。ロンドンのビクトリア&アルバート美術館やサンフランシスコ近代美術館など各国の著名美術館に作品が収蔵されていることが証明するように、セピア色で詩情豊かにプリントされた作風が世界的に高く評価されています。ケンナはイギリスでキャリアをスタートし、ヨーロッパ各地を旅しながらどのように表現を模索したのでしょうか。80年代後半に私費を投じて撮影を続けたナチの強制収容所や、2001年に撮影を開始した日本にはじまるアジア。そして、日本の古民家で10年前より撮影を続けてきた女性のヌード写真。その展開について、来日した彼に話を聞きました。

目に見えない現実を見せるための写真。

『Wave, Scarborough, Yorkshire, England』(1981) 「葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』にインスパイアされた」と語るように、日本への興味は若い頃から持っていたそうです。

「自分の能力では、画家としてイングランドで生きていくのは難しいと早くに気づきました。そこで出会ったのが写真です。バレエダンサーや演劇学校、スポーツの撮影を依頼されて学生時代にも収入を得ることができましたし、コマーシャルなどの撮影で得た収入を自分の作品制作に充てることができます。生活費を稼ぎながら自分の表現を追求するために、写真というメディアは理想的なものだと感じたのです」

幼い頃から絵が得意だったというケンナ。オックスフォード州のバンブリー・アート・スクールで絵画を専攻するものの、早い段階で写真に可能性を見出すようになると、ロンドン芸術大学のカレッジ・オブ・プリンティング(現カレッジ・オブ・コミュニケーション)に転入。写真を専攻し、自己の表現を模索します。

「前提として私は、ドキュメンタリーにそこまで興味を持てませんでした。目に見える現実をただコピーしたいわけではなく、目に見えない現実を見せることができるメディアとして写真に興味を持ったのです」

オープニングで来日したマイケル・ケンナ。
右からアイルランド、ロンドン、左2点がニューヨークで撮影した作品。左から2番目の『Swings, Catskill Mountains, New York, USA』(1977)は、時差ボケで眠れなかったためにホテルの部屋を出て、初めて夜間撮影に挑戦した作品だそうです。
『Chariot if Apollo, Study I, Versailles, France』(1988) 水面に映り込む彫像、霧に滲む奥行きの景色などが、幾何学的に整えられた構図に収められています。

ケンナは夜と昼に関係なく、長時間露光で撮影した作品でもよく知られています。ときにはシャッターを開いた状態のカメラを三脚に立てたまま10時間も放置し、レンズの前で生まれる光や水の動きを集積し、幻想的な写真を生み出してきました。

「普段生活している状態では目に見えない現実を見ること、見せることに興味があります。『Trees, Richmond, Surrey, England』(前ページ参照)は、私がアシスタントとして働いていた頃、雇い主の写真家の犬を早朝に散歩したときに撮影した写真です。実際にはあの木の前に人がいたのですが、長時間露光で撮影をしたら、霧に人が消えてしまったような光景が生まれた。光と影のグラデーションによって、その奥行きへと見るものが迷い込んでしまうような風景を写真で見たとき、自分は見る人の想像力と対話が生まれるような写真を手がけたいのだと確信しました。撮影地や被写体は変わってきましたが、そのような動機は45年経った現在まで変わっていません」

イギリス北部の工業地帯で生まれ育ったケンナは、発電所の造形と煙の動き、空の移ろいを収めたシリーズもキャリア初期に手がけました。
『White Brid Flying, Paris, France』(2007)は、香港生まれのプラスチック製トイカメラ・ホルガで撮影した作品。瞬間的に撮りたい光景と出会ったときに備え、ホルガを携帯しているのだそうです。しかし暗室作業に徹底してこだわり、トイカメラのチープさを微塵も感じさせないプリントに仕上げています。

シリーズで撮影を続ける理由。

1973年に初めて訪れ、1980年代前半から継続的に撮影を続けるフランス。2014年には、30年に及んで撮影した膨大な数のフィルムから、275点の写真を選んで1冊の写真集『FRANCE』(Nazraeli Press)より刊行しました。
ニューヨークの撮影を開始したのは1976年から。左の『Empire State Building, Study 6, New York, USA』(2010)で、初めてニューヨークで空撮を試みました。

ケンナは撮影を行うとき、被写体となる建物や植物、空間との対話を重視します。自分の前に広がる風景と対話し、被写体の声を聞くことで一緒に画面を作り上げる感覚なのだとか。

「例えば1本の木を撮影したとしましょう。時は流れ続けているので、今という瞬間のその木の姿は、今しか撮ることができません。そして翌年にその木は姿を変え、周囲の様子も移ろい続けます。私は一瞬の大切さを常に感じ、再び撮影地を訪れることで被写体とコミュニケーションを継続したいと考えているので、同じ場所や被写体の撮影を何年も続けるのです」

同時並行で長期にわたるプロジェクトとして各地の撮影を続けるケンナが、1988年から着手したのが『Impossible to Forget』(1988-2000)。ナチスが第二次世界大戦中に使用していた各地の強制収容所を訪れ、撮影したシリーズです。

ケンナが初めて訪れた強制収容所は、フランスのヴォージュ山脈にあるナッツヴァイラー強制収容所。「この場所に残されたトラウマを伝えることができないか」と考えて、撮影をスタートしました。

「学生だった頃、同級生の一人が学校の共同暗室でプリントしている写真に目を奪われた経験があります。何を撮影したのかと聞くと、休暇でポーランドに行き、アウシュヴィッツ・ビルケナウで撮影したカミソリだとのことでした。持ち主はどこにいるのだろう。考えるまでもなく、虐殺されたユダヤ人の一人なわけです。そのカミソリの写真は私にとって強烈なインパクトを持っていました」

場所やものに残された人の痕跡、記憶を撮影テーマの一つとするケンナにとって、その写真を見たことはひとつの原体験だと言えるでしょう。それから時が経ち、ヨーロッパを旅しながら「いつかは撮影しなければいけない」と彼は思い続けました。

そこには犠牲者の声なきメッセージが残されています。

「各地の強制収容所には、非常に濃いパブリックな記憶が残されています。拷問が行われた事実などをきちんと受け止めるのは難しいことですが、記憶を消し去ってはいけません。パパラッチ的な悪趣味や金儲けのためではなく、良心に従ってこの場所を撮影する必要を感じました。まだ各収容所が博物館として公開される前の、本当にいいタイミングに撮影できたことは幸運でした」

広告などで得た収入を撮影資金とし、完全にインディペンデントなプロジェクトとして1989年にスタートしました。訪れることのできるすべての強制収容所に足を運び、10年以上かけて撮影した6000枚のネガから、300点をプリントしました。そして、写真2組とネガ、及びネガの版権をフランスの文化省に寄贈。残りのネガもすべて、フランスのレジスタンス博物館に寄贈しました。写真が持つ「記録」という機能を最大限に活用すれば、人類の財産として共有することが可能だからです。

写真の撮影とは、「被写体や撮影する空間と自分とのエネルギーの交換」だと語るケンナ。
美しいモノクロのケンナらしい風景写真ですが、池の下には膨大な数の死体が遺棄されたと聞くと、写真から受け取れる印象は大きく変わってきます。

北海道の風景、古民家で撮影する裸婦。

屈斜路湖で撮影を続けた通称「ケンナの木」の写真を見つめるケンナ。緻密なレタッチを手で仕上げるためには、写真を見る能力が重要だと強調します。

1987年に初来日したケンナは、奈良や京都、東京などの街で、神社や寺の撮影を数多く行なってきました。いつか日本の自然も撮りたいと思いながらも、ようやく2001年になって初めて都会を離れ、日本の風景を撮影するチャンスを得ることになりました。

「1回目の北海道では、霧の中の木や沿岸のテトラポットを撮影したのですが、冬ではなかったので、すぐに冬に戻ってこようと決めました。実際の冬の北海道には、美しい真っ白なキャンバスに墨でマークしたようにフェンスや木がポツンポツンと立っていて、その光景に大きく感動しました。線描による抽象画のような美しさが広がっていたんです。写真の画面をできるだけシンプルにしたい、抽象画のような写真を撮りたいと考えていた私にとって、最高の土地だと確信しました」

ケンナはディテールには興味がないと話します。ディテールを潰し、画面に何かを暗示させ、見る人の想像力が入り込んでくることによって、見る人と作品の関係が成立するような作品を目指してきました。

「俳句のような表現です。すべてを語るのではなく、そこには無限の余白がある。俳句を聞いた人は、そこに想像力を働かせて解釈を生み出す。その許容量を持った表現を私も写真で行いたいと思い続けてきたのです」

北海道では信頼をおけるガイドとの幸運な出会いもあったおかげで、来る度に驚きに満ちたロケーションを訪れることができていると語ります。
中国で撮影した3点。北海道の撮影を続けながら、中国や韓国、カンボジアなどアジア各地にも足を運ぶようになりました。

これまでに人物不在の写真を撮り続けてきたケンナの新たな挑戦が、日本初公開されています。2008年から来日した際に女性のヌード撮影を続けてきたシリーズで、『RAFU[裸婦]:JAPANESE NUDE STUDIES』(2008-2018)のタイトルで2018年秋にフランスのパリフォトで初めて発表されました。

「私はもともと何かを見て、そこから何かを認識する能力が自分の強みだと思ってきました。風景写真を撮影し続けてきた理由です。そういう意味で、裸婦の身体的な美しい部分や美しい角度を見つけて画面を作ることは、ある意味で風景写真と近いものがあります。しかし、私は人に指示を出したり演出したりすることは苦手です。だから日本でモデルの女性たちと、何を目指しているのかを完璧に理解しないままで一緒に歩み、何かに到達しようと前進する作業は非常に貴重なものでした」

日本の古民家というロケーションにこだわり、裸婦の美しさと空間を融合させて抽象化しようと試みた作品の数々。人物不在の風景で行おうとしてきたこれまでの表現とシンクロしながらも、写真家を新たな地平に押し上げていると感じられます。

知人や友人とその紹介で出会ったモデルたちを撮影。ヨギーニやダンサーなど身体表現が得意な女性たちもいましたが、プロのモデルではない女性たちです。
『RAFU』シリーズのモデルの一人がオープニングで来場。彼女の職業は漫画家でダンサーだそうです。

回顧展として45年に及ぶキャリアを展望させる個展であり、作家として新たな表現を探り続ける実験精神を感じさせる場でもある『マイケル・ケンナ写真展』。ケンナが環境に耳を傾けたように、展示室で彼の作品を見つめ、耳を傾けることで多様な環境を体感することができるはずです。

乃木坂駅そばの「ギャラリー・アートアンリミテッド」でも、『ケンナによるケンナ写真展』が同時開催されています。

『マイケル・ケンナ写真展 A 45 YEAR ODYSSEY 1973-2018 RETROSPECTIVE』
開催期間:2018年12月1日(土)〜2019年1月27日(日)
開催場所:東京都写真美術館
東京都目黒区三田1-13-3恵比寿ガーデンプレイス内
TEL:03-3280-0099
開館時間:10時〜18時(火、木、金、日) 10時〜20時(木、金)
※最終入館は閉館の30分前まで
休館日:月、1月15日(火)
※1月14日は開館
観覧料:一般¥1,000(税込)ほか
https://topmuseum.jp

同時開催『ケンナによるケンナ写真展』
開催期間:2019年1月9日(水)〜2019年2月9日(土)
開催場所:ギャラリー・アートアンリミテッド
東京都港区南青山1-26-4六本木ダイヤビル3F
TEL:03-6805-5280
開廊時間:13時〜19時
休廊日:日、月
入場料無料
http://www.artunlimited.co.jp