マネキンからリアルへ。木村伊兵衛写真賞を受賞した片山真理が語る、「それまで」と「これから」。

  • 写真&文:中島良平

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2020年3月19日、優れた作品を発表した新人写真家を表彰する「木村伊兵衛写真賞」の第45回受賞者として、アーティストの片山真理の名前が発表された(横田大輔とダブル受賞)。群馬県の自宅に隣接する片山のアトリエを訪れ、受賞までのキャリアと今後の展望について話を訊いた。

2017年末より企画が進み、19年3月に出版された待望の初作品集。『GIFT』片山真理・写真、ユナイテッドヴァガボンズ刊 ¥5,500(税込)

先天的に四肢疾患をもち、9歳で両足を切断して義足での生活を送り始めた片山真理。2013年の「あいちトリエンナーレ」で広く注目され、16年に森美術館で開催された『六本木クロッシング』展では圧巻の存在感を放った。以後、ヴェネチア・ビエンナーレや世界最大規模の写真の祭典「パリ・フォト」への参加など、国際舞台で活躍を続けてきた。

その彼女が20年の春、木村伊兵衛写真賞を受賞した。評価対象は、上記のヴェネチア・ビエンナーレでの展示と、19年に出版された作品集『GIFT』(ユナイテッドヴァガボンズ刊)。発表の時系列に沿って作品が見られるこの作品集を前に、片山は、自身でものをつくる感覚は変わっていないと話す。やりたいことがあったらそのために必要な技術を覚え、必要な条件があったらそこに合わせて自分の方法や考え方を変え、「流れに身を任せてきた」のだ。

「高校生の頃に私のSNSを見たスタイリストの島田辰哉さんにお誘いいただいて、義足に絵を描いてファッションショーのモデルをやる機会がありました。それから義足について書いたテキストが群馬青年ビエンナーレの一次審査を通って、作品を提出することになったんですね。『作品ってなに?』『アートってなに?』っていう状態で、とりあえずホームセンターに行って素材を探したことを覚えています」と笑う片山。

『六本木クロッシング』への参加が、ひとつの転機となった。

『六本木クロッシング2016展:僕の身体(からだ)、あなたの声』展示風景 2016年 森美術館 photo: Takeo Yamada

片山は、ものづくりが当たり前の家庭環境に育った。母親は片山の服をつくり、祖母や曽祖母も裁縫をし、祖父は絵を描いたり俳句を詠んだりと、表現一家だったのだ。そんな環境で、彼女はクレヨンや鉛筆を持つよりも早くに針と糸の使い方を覚え、やがて物心がつくと漫画やイラストを描き始める。学校ではなかなか友だちをつくれなかったが、15歳の頃にはプログラミングを覚えてカスタマイズした「Myspace」や「mixi」に、自分がつくったオブジェや描いたイラストの写真をアップ。SNSを通じてネットワークを広げた。地元の大学で美学美術史を専攻し、東京藝術大学大学院に進学。写真技術について一から学び、作品を発表する機会を徐々に得ていく。

「2014年から15年にかけて東京に住んでいたんですが、今後どうするかと考えていた時に、前橋でアーティスト・イン・レジデンスに参加する機会がありました。自分の地元にも近いですし、制作するためにすごくいい環境だと感じたんです。アーティストなら優先すべきは制作環境だと思い、15年に群馬に引っ越してきて挑んだ最初の展示が、森美術館の『六本木クロッシング』でした。いままでの作品を整理して、一度すべてを出展することに決めました」

『beast』2016年
『shell』2016年 「自分がつくったオブジェも、写真に撮るとその質感や雰囲気、空気がより伝わると思います。記録として撮影していた頃から、メディアとしての写真へと捉え方は大きく変わりました」

身体性をひとつのテーマに、ジェンダーやアイデンティティへの多角的な視点を取り上げた森美術館の企画展で、片山の作品は大きなインパクトを残した。世界から来場者が集まる同美術館を会場に、自身が行ってきた中でも最大規模の展示を実現したことや、担当学芸員である荒木夏実とのやり取りからも大きな気づきを得たという。

「会期がゴールデンウィークにかかる展示だったので、来場者が作品に触れないように結界をつくることになったんです。私としてはただロープなどで結界を張るのは違うなと思ったので、自分で貝殻やビーズを編んで張り巡らせようとしたんです。そうしたら荒木さんが、『もし展示を見にきたお客さんがこの結界を壊しちゃったら、美術館を嫌いになっちゃうよね』とおっしゃったんです。自分は作品を搬入して、インスタレーションをつくることまでしか考えていなかった。『美術館に来た人がまた来たいと思える空間をつくるのが、私たちの仕事なんだよ』と荒木さんに言われて、それはアーティストも同じなんだと気づかされました」

さらにもうひとつ、この大規模展への参加は、片山の表現において大きな広がりが生まれるきっかけにもなった。

作品の素材や道具が整頓された、片山のアトリエ。わかりやすく整理するのが好きなのだという。
段ボールにもコラージュを施すなど、ものづくりへの徹底した姿勢がアトリエから伝わってくる。

写真に向き合ったことで生まれた、表現の変化。

『on the way home #004』2016年 17年初頭に、群馬県立近代美術館で同タイトルの個展を開催した。

2016年には、個展の開催や瀬戸内国際芸術祭への参加なども決まっていた。

「『六本木クロッシング』には、それまでにつくった作品を“全部出し”したので、まず個展に出展するために写真をきちんと撮ることにしました。それまではオブジェに付随した説明的な写真だったので、もっと写真と向き合ってみようと思ったんです」

SNSへの投稿を繰り返していた時期は、オブジェを見せるための写真を撮っていた。オブジェをより生き生きした状態に見せたいという思いから、自らがモデルとして画面に一緒に収まり、撮影を続けた。これはセルフポートレートという意識よりも、主役であるオブジェを引き立てる効果を出すために、片山自身が「マネキン」となったものだ。

『shadow puppet』というモノクロ作品では、二本指の自分の左手をモチーフにオブジェを制作し、自分の左手と戯れるようにして自ら被写体となって撮影を繰り返した。オブジェを引き立てる意識よりも、オブジェと自身とが対等な関係で画面に収まるイメージで、シャッターを切ったという。

『shadow puppet #010』2016年 「写真作品を撮るぞ、という意識で撮影を開始したのがこの作品です」
『bystander #016』2016年 「直島で1週間、雨が降らない日が続いた後の、嵐の直前の雲が浮かぶ空の下でこの写真を撮影しました」

瀬戸内国際芸術祭への出展作品では、自身の身体ではなく直島の人々の手をモチーフとしたオブジェにチャレンジした。

「直島で展示をするからには、地域の人とアートをしないといけないのではないかという謎の思いにとらわれてしまって、恐る恐る島の人たちと共同作業を始めたんです」と、片山は回想する。直島の人たちの手を撮影し、群馬のアトリエでプリントした写真を使って立体を作り、それを持って再び直島を訪れて作品撮影を行った。自分の身体のパーツをモチーフにオブジェをつくり、自室をていねいに演出して撮影するという、これまでの制作背景からの大きな変化だ。

「最終的には海岸で撮影をしたんですが、野外ですべてをコントロールすることはできませんよね。天気はもちろんだし、船が通るタイミングだったり、空の雲だったり。それまでは全部を自分でつくり込んで、何度もファインダーをのぞいて自分でモデルをやって、という方法でしたが、それとはまったく違う緊張感がありました。それがすごく楽しかったんです」

『帰途 on the way home』展示風景 2016年 群馬県立近代美術館 photo: Takeo Yamada
「オブジェをつくる時は撮影した写真を布にプリントして、それをコラージュのように構成して裁縫します。オブジェ自体にも写真が絡んでいるんですよ」と、指の写真をプリントした布を手にする片山。

「その後、妊娠して、出産の1カ月ぐらい前まで仕事を続けていたんですが、出産後に体力がどのぐらい戻るのかということも考えましたし、たとえば子どもが小さいうちは家の中でビーズや針を使うことはできなくなるとも思ったので、いろいろと変える心構えをしました。それまでは自分が作品と一緒に会場に行ってインスタレーションを手がけていましたが、それも難しくなるだろうと想像しました。もしインスタレーションができなくても、写真集があれば作品が私なしで世界に羽ばたいてくれるのではないかと考えたんです」

作品集『GIFT』のプランは、そうして生まれた。

木村伊兵衛写真賞を受賞して、まわりと同じ土俵に立てた気がした。

第58回ヴェネチア・ビエンナーレ展示風景「現代を生きる私が、ヴェネチア・ビエンナーレという、現代アート界でも最高位の国際美術展に参加できた。本当にすごい展覧会だと感じました」

2019年春に出版された作品集『GIFT』は、時系列で作品が並ぶつくりになっている。制作を続けてきて壁にぶつかったり、出会いをきっかけに新たな手法に着手したり、子どもの頃からリニアに表現の変化を繰り返してきた自負が、ページの構成に反映されている。なにかにこだわり続けるのではなく、いろいろと受け入れながら表現を広げてきた柔軟性が、作品集からも、ていねいにインタビューに答える彼女の口ぶりからも、伝わってくる。

「いろいろと想定外のことが起こるとパニックにはなるんですけど、どこかで楽しんでいるのかな。私はたぶん、わがまますぎないのかもしれません。なにかをしなければいけないとなったら、それはいったん受け入れて、その上で自分が好きなように変えられる部分を変えよう、というような感覚です」

自分がつくりたいものをつくり、見せ方を考えて写真を撮り始め、やがてインスタレーションを覚え、人との共同作業も行うようになった片山。さらに、妊娠と出産を経て表現は変化した。

十代の頃に描いた、夫の肖像画を手にする片山。

「身体感覚はかなり変わりました。オブジェをたくさん置いた空間に自分が入り込んでセルフポートレートを撮影していた頃は、自分はモデルであってマネキンでしかなかったんですね。でも、娘が生まれて身体がよりリアルになったというか、自分の身体を面白いと思えるようになって、たとえば黒い背景で自分の身体だけを撮影するようにもなりました」

19年には『GIFT』出版後に、招待作家としてヴェネチア・ビエンナーレにも参加し、『bystander』などを出展した。暴風雨と高潮による「アックア・アルタ」と呼ばれる歴史的な浸水被害も起こったが、そんなトラブルがあろうとも「生涯でもう1度、参加したい」という野望が生まれるほどに、ヴェネチア・ビエンナーレに魅了されたという。

「去年のヴェネチアでは、ディレクターのラルフ・ルゴフさんが“May You Live in Interesting Times(注:中国の呪詛として西洋で意味が誤訳されて広まった「数奇な時代を生きられますように」を意味する言葉)”という言葉を展示タイトルにしたのですが、いまは新型コロナウイルスで本当に社会が脅かされています。考えるとゾッとしますよね。アートってそういうふうに、無責任に一方的な予言をするようなところがあると思っていて、それがアートの可能性というか、世の中のために必要である部分でもあるんじゃないかなと思っています」

『you're mine #001』2014年
『on the way home #001』2016年

写真やオブジェの制作という引き出しはもっているが、アートは自由にジャンルや手法の枠を超えて表現できる。キャリアを通してそのことを理解する片山は、これからも自らの表現を限定することなく、制作を続けていく。

「どんな作品をつくっても、どんな展覧会に出展しても、『障害を乗り越えて』とか『両足が義足の』という冠がついてしまって、作品そのものよりも自分自身にフォーカスされることが多かったんですね。もちろんバックグラウンドがあっての作品なので、それを否定するわけではありません。でも今回の木村伊兵衛写真賞の選考では、作品を純粋に評価していただけたと感じています。写真って、すごく平等な気がするからです。カメラという道具を通して一枚の画像が結ばれて、一枚の絵として出てくる。それを評価していただけたのがすごく嬉しいですし、やっとみんなと同じ土俵に立てた気がしています」

片山真理●1987年、群馬県生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。自ら手がけた立体作品とともに撮影したセルフポートレートが評価され、木村伊兵衛写真賞を受賞。同賞受賞記念展の開催や、20年秋に延期が発表された写真イベント「KYOTOGRAPHIE」への参加も決まっている。