空間を満たす多彩なストーリー、 横浜美術館「蔡國強展:帰去来」を観よ!

  • 写真:江森康之(会場)、大瀧 格(ポートレート)
  • 文:青野尚子

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週末の展覧会ノート10:大量の火薬を用い、実際の展示会場で制作された新作絵画も話題を集めた
横浜美術館の「蔡國強展:帰去来」。現代美術界を代表するアーティストによる個展を訪れました。

火薬を爆発させて描く、巨大な“絵画”。

現代美術界を代表する一人である、蔡國強(さいこっきょう、ツァイ・グオチャン)氏。1957年中国福建省泉州市生まれ、ニューヨーク在住。写真は展覧会場にて。
1957年、中国福建省泉州市に生まれた蔡國強さんは、86年末から95年まで日本に滞在していました。95年にニューヨークに拠点を移してからはアメリカ、フランス、オーストラリア、ブラジル、中国、カタールなど世界各地で個展やプロジェクトを行っています。
作品は大空をキャンバスに、火薬を爆発させてその火花や煙でわずかな間しか見られない巨大な“絵画”を描く花火や、和紙の上で火薬を爆発させ、焦げ跡でドローイングを制作したり、といったスケールの大きなもの。動物の剥製などを使った大型のインスタレーションなど、寓話的な作品も彼の魅力のひとつです。

展覧会タイトルの「帰去来」は陶淵明の詩からとられたもの。アーティストとしての原点である日本に帰ってきたという意味合いが込められています。また2008年北京オリンピック・パラリンピック開閉会式の視覚特効芸術監督といった国家的なプロジェクトからより身近な、個人的な表現に戻りたいという思いからつけられたものでもあります。
エントランスをくぐった1Fに展示された、大作「夜桜」(2015年、火薬、和紙、800×2400㎝、作家蔵)。市民や学生のボランティアたちとの協働によって、実際の展覧会場で制作されたもの。
エントランスを入って真っ先に目に飛び込んでくるのが、巨大な火薬絵画「夜桜」。横浜の花火師の協力のもと、土佐産の和紙の上で火薬を爆発させて描いたものです。これまでの蔡さんの火薬ドローイングの中でも最大級のものでしょう。あまりに大きいので左右2回に分けて制作されました。火薬は展示が行われる現地でそれぞれ調達します。今回は漢方薬に使う鶏冠石という物質を使って黄色い色が出されています。

担当学芸員の木村絵理子さんによると、「桜のモチーフは日本美術を意識したものです。蔡さんは横浜で個展を開くにあたって、横浜出身の岡倉天心が確立した日本画の理論を参照しています。岡倉天心に師事した下村観山や横山大観は桜や富士といったモチーフをよく描いていました。また日本的精神の象徴としての桜のイメージにも注目しています」とのこと。桜の花はかたまりで描かれることが多いのですが、この作品では一輪一輪が大きく描かれます。
「桜の花は華やかだけれど、すぐに散ってしまうはかなさがある。また火薬の爆発は力強いけれど、一瞬にして消えてしまう。花の華やかさと火薬の力強さの対比や、はかない花と一瞬で消える火薬の共通点なども蔡さんは意識しています」
「夜桜」の部分。左上にミミズクが描かれている。
「夜桜」にはミミズクも描かれています。中国ではミミズクは福を呼ぶと考えられ、横山大観もミミズクをしばしば描いています。花と鳥を組み合わせた花鳥画は中国から日本にもたらされたもの。
「日本で独自の展開を遂げた絵画と、横山大観らがめざした近代日本画の革新への両方に対するリスペクトが込められています」と木村さんは言います。

偶然と計算がせめぎ合う、火薬による絵画。

「人生四季:春」(2015年、火薬、カンヴァス、259×648㎝、作家蔵)
続いて、「人生四季」と題された火薬絵画は江戸時代の絵師、月岡雪鼎(つきおかせってい)の肉筆春画「四季画巻」に着想を得たもの。こちらにも季節ごとにユリや水仙、カッコウや雁といった花や鳥が描かれています。もとの「四季画巻」では四季が女性の一生になぞらえられていて、春にはまだ幼いところもあった女性が夏には大人になり、秋には妊娠していて、冬には成熟した女性になっています。
「季節とともに移り変わる花や鳥と同じように、人間も変化していく。こうして自然と人間とが同じ地平で混ざり合う画面を蔡さんは目指したようです。欧米や中国でも昔から春画のようなものはありますが、庶民のカウンターカルチャーとして独特の誇張などを含む日本の春画の力強さに蔡さんは以前から興味をもっていたようです」
同じく「人生四季:春」の部分。
お話を伺った、今展の担当学芸員木村絵理子さん(左)
こちらの火薬絵画は「夜桜」よりもさらに鮮やかな色あいです。萌えるような色彩が文字通り、爆発するような生のエネルギーを感じさせます。青や赤などの部分には蔡さんが日中の屋外プロジェクトなどで用いる昼花火用の火薬が用いられました。これは色のついた煙が出るものです。鮮やかな色彩を描き出すのは初めての試みで、蔡さんは試行錯誤を繰り返したようです。
「人生四季:夏」(2015年、火薬、カンヴァス、259×648㎝、作家蔵)
「人生四季:秋」(2015年、火薬、カンヴァス、259×810㎝、作家蔵)
「人生四季:冬(部分)」(2015年、火薬、カンヴァス、259×648㎝、作家蔵)
「火薬の爆発による作品はコントロールできるかできないかの境目でつくられるもの。偶然性が生む思いがけない要素と計算とがせめぎ合う絵画です。計算しすぎると技巧的になってしまうのも難しいところです」
人の知恵や手を超えたところで描かれる美しい画面は、人智を超えた存在に身を委ねる生き方にも通じます。自然の移り変わりや気の流れに寄り添って生きようとする、東洋的な思想も感じられる姿勢です。

伝統文化と現代アートをクロスさせた「朝顔」

「朝顔」(2015年、陶、藤蔓、鉄、サイズ可変、作家蔵)
天井から下がる「朝顔」(中央)と、壁に展示された「春夏秋冬」(奥)
次の展示室で天井から下がっているのは朝顔をテラコッタで形づくった「朝顔」。横浜美術大学の学生とのコラボレーションによる作品です。
「その土地の学生やボランティアとの共同作業は蔡さんにとって重要な制作スタイルです。蔡さんはアーティストという特殊な技能の持ち主だけがアートをつくっているのではなく、つくり手も受け手も含めて環境全体が美術をつくっている、と考えているのです」
蔡さんは展示する国の「土地と対話して、その土地の文化とつながるといろいろな可能性が出てくる」と言っています。また「コントロールしきれない火薬と、周りの人々のエネルギーとともに動いていく」とも。その土地の歴史や文化、ともに制作にあたった人々のエネルギーとが生んだ作品が、見る人を巻き込んで新しいエネルギーを生み出します。蔡さんの作品に独特な力があるのはそのためでもあるのかもしれません。
「春夏秋冬」より「春」(2014年、火薬、磁器タイル、240×300㎝、作家蔵、上海当代芸術博物館によるコミッション・ワーク)
「朝顔」がある展示室の壁には、白い陶器に火薬をまいて爆発させた「春夏秋冬」が掛けられています。牡丹、蓮、菊、梅といった花びらの一枚一枚まで再現された繊細な磁器は蔡さんの故郷、中国・泉州市の「徳化窯」の職人たちの手によるもの。鳥や魚も描かれています。
同じく「春夏秋冬」より「春」(部分)
「春夏秋冬」より「夏」((2014年、火薬、磁器タイル、240×300㎝、作家蔵、上海当代芸術博物館によるコミッション・ワーク)
春夏秋冬を眺める青野さん(手前)と担当学芸員木村絵理子さん(奥)
この磁器はとても高度な技を必要とするもので、欧米ではBlanc de Chineと呼ばれて珍重されましたが、近代に入って廃れつつありました。蔡さんは古くからの伝統的な文化と現代アートをクロスさせようとしたのです。火薬の燃えたあとは風や雨をもたらす大気の動きを表しているようです。ここでも職人たちの繊細な手技から生まれたエネルギーが、静かに波打つように感じられます。

99匹の狼たちが、壁にぶつかり、落ちていく。

「壁撞き」(2006年、99体のオオカミ[鉄芯、藁、石工、着色された羊の毛皮、合成素材]のレプリカ、ガラス壁[合わせガラス、鉄骨ベニヤ張り、塗装仕上げ台座]、400×800×3200㎝(ガラス壁:290×350×340㎝)、ドイツ銀行蔵)
最後の展示室にある大作「壁撞き」はベルリンの壁から着想した作品です。99匹の狼のフィギュアがガラスの壁に向かって飛びかかりますが、壁にぶつかって落ちてしまう。でもまた元のところに戻って壁に向かって飛びかかる、これを永遠に繰り返す様子を表しています。
「99という数は永遠の循環を表すもの。がんばれば越えられそうなのに越えられない壁は、人と人の間の見えない壁を象徴しています。東西の冷戦が終わってもまた新たなものが生まれて世界を二分してしまう。他人との間に違いがあることを理解しない、違いを認めないことから諍いが始まる。壁は乗り越えられる、という楽観的な見方ではなく、絶望を抱えながら生きていかなければならない、という決して楽観的ではないメッセージなのです」
共産党政権下の中国で育ち、日本で若き日を過ごして、いまアメリカを拠点にしている蔡さんが見る世界の像がこの作品に込められているのです。
99体のオオカミが、ベルリンの壁とほぼ同じ高さでつくられたガラスの壁に向かい、ぶつかり、落ちていく大作「壁撞き」。永遠につづく壁を表している。
短い間に咲き誇り、あっという間に散ってしまう桜の花を描いた「夜桜」。四季の移り変わりとともに成長していく人間が表現された「人生四季」。火によって見えない気の流れやエネルギーが付加された「朝顔」と「春夏秋冬」。「壁撞き」では狼が目に見えない壁に衝突し続けます。これらの作品について蔡さんは、「宇宙や自然、人類社会の循環にとけ込み、私のいのちの軌跡そのもので、芸術、生き方やその時々の感情を含んでいる」と語っています。

この展覧会では作品ひとつひとつとじっくり向き合うことでさまざまな物語を読むことができます。また展覧会全体を貫く大きな流れを感じることもできるでしょう。古今東西の思想哲学に通じている蔡さんと横浜の人々とが紡ぐ、多彩なストーリーが空間を充たす展覧会です。(青野尚子)

蔡國強展:帰去来
Cai Guo-Qiang:There and Back Again

横浜美術館
住所:神奈川県横浜市西区みなとみらい3丁目4番1号
会期:2015年7月11日(土)~10月18日(日)
休館日:木
開館時間:10時~18時(入館は17時30分まで)
※9月16日(水)、9月18日(金)は20時まで開館(入館は19時30分まで)

入場料:一般¥1,500
TEL:045-221-0300(代表)
http://yokohama.art.museum/