アートが腕時計を進化させる!? アートディレクター千原徹也の感性を刺激する、「オーデマ ピゲ」の理念。(前編)

  • 写真、ムービー:岡村昌宏(CROSSOVER)
  • 文:髙田昌枝

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世界最大のアートフェアであるアート・バーゼルとパートナーシップを結び、支援を続ける「オーデマ ピゲ」。アートコミッション活動によって、新進アーティストの作品制作を支援しています。今年6月、スイスで開催されるアートバーゼルの会場を、アートディレクターの千原徹也さんとともに訪ねました。

4回目となるオーデマ ピゲ・アートコミッションの作品を発表したイギリスのアーティストデュオ、Semiconductor(右:ルース・ジャーマン、中:ジョー・ゲアハルト)と千原徹也さん。

スイスのバーゼルといえば、時計ファンには毎年開催される時計の見本市がおなじみですが、世界最大の現代アートフェアの開催地としても知られています。2013年以来、オーデマ ピゲは公式アソシエイトパートナーとして、アート・バーゼルを支援してきました。バーゼルのほか、香港、マイアミビーチで開催されるこのアートフェアでは、毎年、マニュファクチュール(自社一貫生産)の伝統と源をテーマにしたコレクターズラウンジのデザインをアーティストに依頼して、世界のVIPを迎えています。2014年には、アートコミッションをスタート。毎年、新進アーティストのプロジェクトを1点選び、全面的に支援、出資して、アート・バーゼルの舞台で世に送り出しています。

アート・バーゼル訪問は初めてという千原徹也さんは、広告、装丁、ファッションブランディングやWEBまで、幅広い分野で活躍するアートディレクターです。「精密な技術と時計を操るオーデマ ピゲが、定義や答えのないアートを支援する活動を行い、それを自分たちの起業精神に生かそうとしている姿勢はおもしろいですね」と興味津々で会場に向かいます。

会場には4000点以上の現代アーティストの作品が!

この緑の噴水もアートワーク。大小さまざまの作品が展示され、ワークショップなどイベントも多彩なアート・バーゼル。市内や近郊のカルチャー施設でも連動企画が行われ、街中がアート一色に彩られます。

1970年、スイス・バーゼルの3人のギャラリストが企画して、90のギャラリーが集まる国際アートフェアを開催しました。それがアート・バーゼルの起源。フェアは年々規模を広げ、バーゼルの街の枠を超えて、2002年にはマイアミビーチ、2013年には香港へと拡大。いまでは世界をリードする近現代アートのイベント“アート・バーゼル”として知られています。2018年6月のスイス・バーゼルでの開催時には、プレビューデイを含む6日間の会期に、100カ国以上から9万5000人近くが集まりました。

世界30カ国以上から集まった227の有名ギャラリーがブースを並べ、アート愛好家、コレクター、400を超える世界の美術館関係者が商談を繰り広げるメイン会場。一方で、新進アーティストを集めた「Statements」、大型作品を集めた「Unlimited」といった企画会場、パフォーマンスや映像、キュレーターやアーティストとの対話プログラムも充実。バーゼル市内と近郊の文化施設でも連動イベントが数々行われ、街中がアート気分に包まれます。

2018年アート・バーゼルより、大型作品を展示して人気の「Unlimited」の風景。Lara Favaretto作「Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance), 2018」
ガーナ出身のアーティストIbrahim Mahamaの作品「Non-Orrientable Nkansa II、2017」のディテールに引き寄せられた千原さん。

今回、初めてアート・バーゼルを訪れた千原さん。「これだけの規模でアートが展示され、取引される場は、日本にはないですね」、とフェアの規模と作品の多様性に目を見はります。アジアのギャラリーの進出も目立つメイン会場のエネルギーもさることながら、千原さんが注目したのは、大型作品を集めた「Unlimited」のフロア。ステージに上がって高台から眺める作品、インスタレーションの中を歩き回って体感する作品など、彫刻やインスタレーション、ビデオやパフォーマンスまで、文字通り、身体全体で感じるアートが並びます。2000年代に誕生したこの「Unlimited」には、ギャラリーのブースという枠には入りきらない、進化し続ける現代アートの野心的な試みが目白押し。グラフィックや映像の世界にも通じる作品たちは、千原さんの遊び心を刺激しました。

Carlos Cruz-Diezの「Translucent Chromointerferent Environement, 1974/2009」のキネティックなインタラクティヴ作品に入り込んだ、千原さんのシルエット。

アートコミッション最新作、「HALO」の世界を訪ねて。

オーデマ ピゲ・アートコミッション第4作「HALO」の発表会場入り口。地下へ続く階段を下りると、いよいよ作品が。

ここは、今回のアート・バーゼル訪問の最大の目的、オーデマ ピゲ・アートコミッション第4作「HALO」の発表会場。作品名は光の環が現れる現象の意味とあって、作品がインスタレーションされた特設会場は、光を落とした真っ暗なスペースです。

そもそも、アートコミッションは、オーデマ ピゲの伝統である職人精神と技術に着想を得て2014年に始まったもの。コミッションの審査員は、毎年1名のゲストキュレーターのアドバイスを得て、新進アーティストたちのプロジェクトから1点を選出。制作資金に加え、作品の制作に必要なエキスパートを紹介するなど、オーデマ ピゲならではの支援を行います。

今回発表された「HALO」の制作者は、英国のSemiconductor。過去にはスミソニアン博物館やNASAなどの国際的な研究機関の協力を得て、世界の物質的な側面や科学者の視点と我々の体験との関係性を考察し、映像や没入型インスタレーションの形で発表を続けてきたアーティストデュオです。「HALO」は、彼らがジュネーヴのCERN(欧州原子核研究機構)のアーティスト・イン・レジデンス時代に発想し、温めてきたプロジェクト。オーデマ ピゲ・アートコミッションがテーマとする「複雑性と正確性」、「創造性と科学、技術の関係の探求」にこれ以上の適材はないといえそうです。

光の粒が刻々と移り変わり、音が響き渡る。その姿は創世直後の宇宙を思わせる。

会場入り口から階段を下りていくと光の粒が踊り、不思議な音を奏でるインスタレーションが見えてきます。「HALO」は、垂直に並ぶピアノ線が形成する幅10m、高さ4mのシリンダー状の空間。ピアノ線上に次々に光が投影されると同時に、小さなハンマーがピアノ線を叩き、その振動音がインスタレーション全体に響き渡ります。この光と音のプログラムの元になっているのが、CERNが誇る大型ハドロン衝突型加速器(LHC)が観測した、素粒子衝突のデータ。目に見えないサイズと速さで起こる素粒子衝突のデータを人間が体験できる数値までスピードダウンし、音と光で体感させる「HALO」。その没入体験は、ビッグ・バン直後、物質が形成された初期の宇宙の姿につながります。

「HALOに入った時、宇宙を作っているなと感じました」と語る千原さんと、Semiconductorの二人。

「HALO」体験に、無重力や時間を超えた宇宙を感じたという千原さん。Semiconductorの二人に、制作秘話を伺うことにしました。

千原 お二人は、これまでもNASAやカリフォルニア大学、CERNなどの高度な科学技術研究所でのフェローシップを経験してますが、オーデマ ピゲのような職人技、機械式時計の技術についても興味はありましたか?

Semiconductor 実は時計については一般的な知識しかもっていませんでした。アートコミッションのおかげで、初めてオーデマ ピゲのジュウ渓谷の工房を訪問したんです。時計のアトリエは、人間が製作できる最小サイズの高度なテクノロジー。一方のCERNでは、LHCの全周は27㎞など、すべてが非常に大きなスケールですから、時計の世界の微小さ、複雑さには驚くばかりでした。

千原 アトリエで印象に残ったことはありますか?

Semiconductor ミニッツリピーターのような、チャイムのある時計を初めて見ました。時計を入れて音を増幅させる小さな箱にも驚かされました。

千原 作品にアイデアやインスピレーションをもらうような出来事はありましたか?

Semiconductor このミニッツリピーターがまさにその例です。「HALO」のプロトタイプをオーデマ ピゲのアトリエの方たちが見学した時、「あ、うちのチャイムの構造に似ているね」と言われました。

千原 ピアノ線の下をハンマーが叩いていますね。

Semiconductor そうなんです。意識して真似たわけではないのですが、アトリエで見たチャイムの印象が強かったから、共通する部分が生まれたのだと思います。

千原 「HALO」でいちばん苦心したのはどんなところでしたか?

Semiconductor 音作りでした。欲しい音を得るために、何度も調整しなくてはなりませんでした。また、今回、CERNが観測した素粒子衝突のデータを、研究者たちが手を加えていない形で使いたかったのですが、その責任者が誰だかわからなくて、許可に3カ月もかかったのも辛かった(笑)。プロジェクトをアートコミッションに提出してからいままで、1年半かかりました。

千原 作品の中に入った時、宇宙をつくっているな、と感じました。一方で、周囲にはクッションが置いてあって、無重力っぽい空間づくりになっているのも気持ちがいい。時間の感覚を失う空間ですね。お二人は、「HALO」をどんな風に楽しんでほしいと思っていますか?

Semiconductor ゆっくり近づいて、周囲を歩き回ってください。それから中に入って、空間と音を堪能して。インスタレーションの中には、音と映像があふれています。固有のリズムやパターンから生まれるデータはとても美しい。ぜひ、時間をかけて楽しんでください。



コレクターズ・ラウンジは、もう一つのアートコラボレーションの舞台。

VIP来訪者を迎えるオーデマ ピゲのコレクターズ・ラウンジ。2016年から続くセバスチャン・エラズリスによるラウンジデザイン3部作は、今年がファイナル。

オーデマ ピゲがウォッチメーカーとしての伝統と起源、職人技と革新的な技術を具現するのが、コレクターズ・ラウンジ。新作時計が展示され、職人たちの繊細な手作業を間近で見ることができる空間です。

2013年以来、オーデマ ピゲは、アーティストを招聘してコレクターズ・ラウンジのデザインを一任してきました。今年は、オーデマ ピゲの故郷、ジュウ渓谷の自然の要素に着想を得たデザインを展開してきたセバスチャン・エラズリスによる三部作の完結の年。16年の「Ice Cycle」、17年の「Second Nature」に続く終章は「Foundations」(礎)と題され、ジュウ渓谷で採取され、時計づくりの源になった鉄鉱石がテーマです。鉄鉱石を型にとり、3Dプリントで再現した数百ものピースをインスタレーションした幻想的なデザインが来訪者を迎えます。

オーデマ ピゲにとって、アーティストとの協働は、動き続ける世界を、自分たちとは違う目で見るための重要なツール。取締役会副会長のオリヴィエ・オーデマ氏は言います。

「2012年、ロイヤルオークの40周年を祝って、アーティストとの協働を思いつきました。この時、ジュウ渓谷の自然を撮影したダン・ホールワースの写真に、我々自身が描くジュウ渓谷とはまったく違う姿を見出したのです。その経験は、『なぜここに人が住み着き、この地の自然から時計産業が生まれたのか』という我々のオリジンについての再考につながりました」

オーデマ ピゲが、ブランドの文化的、地理的原点を解釈して作品制作を行うプロジェクトにも支援を行っているのはそのため。今年のコレクターズ・ラウンジに展示されているイタリア人アーティスト、ケオラの作品も、その支援プロジェクトの一つです。オリヴィエ・オーデマ氏は言います。「小さなジュウ渓谷にいる我々にとって、バーゼルは、世界中からやって来るアーティストと出会い、世界に目を開く大切な機会なのです」

コレクターズ・ラウンジには、25周年を迎えたロイヤル・オークオフショアのオリジナル復刻版をはじめ、新作時計の展示が。
ラウンジでは職人が手仕事を披露するコーナーも。女性職人による細かな作業に見入る千原さん。
コレクターズ・ラウンジのインスタレーションを前に、アートへの思いを熱く語ってくれた取締役会副会長のオリヴィエ・オーデマ氏と千原さん。

世界のアートラバーが集結する現代アートフェアで、アートを支援し、アートから未来を見つめる視点を得ようとするオーデマ ピゲ。アートコミッション作品「HALO」と、二人のアーティストを迎えたコレクターズ・ラウンジを体験した千原さんはこう言います。

「アートは定義ができない、答えを出さないもの。一方、科学や技術は答えを見つけるためのもの。HALOでは相反する二つが融合している、そこがおもしろい。時間を定義することを仕事にするウォッチメーカーが、地球とは時間の概念の違う宇宙につながる作品の制作をサポートしている懐の広さにも驚かされました」。

発想を定義するのは難しいこと。「発想」の価値をしっかり受け止め、自分たちの技術に返そうとしているオーデマ ピゲの姿勢が、千原さんの興味を刺激したようです。

143年にわたって、発祥の地ジュウ渓谷で育まれてきた伝統と革新精神。それを支えているのは、アーティストのもつ自由で斬新な視点を評価し、活用する柔軟な視点です。アーティストをインスパイアするオーデマ ピゲはまた、アーティストを支援することによって、新たな未来への革新の目を育てているのです。

セミコンダクター
Semiconductor
ルース・ジャーマンとジョー・ゲアハルトによる、イギリスのアーティスト・デュオ。1997年に結成。この世界の物質的側面を人がいかに体験し、理解しようと努め、物質世界における居場所に疑問を投げかけるのかを追求する映像作品を制作。最近は欧州原子核研究機構(CERN)、スミソニアン国立自然史博物館、カリフォルニア大学バークレー校NASA宇宙科学研究所などでフェローシップの機会を得て、人間社会を取り巻く物質世界を、人がどう理解しているかを考察する作品を手がけている。http://semiconductorfilms.com


千原徹也
Tetsuya Chihara

1975年京都府生まれ。デザインオフィス「株式会社れもんらいふ」代表。広告、ファッションブランディング、CDジャケット、装丁、雑誌エディトリアル、WEB、映像など、デザインするジャンルはさまざま。さらには、サインペンを使用してキャンバスに描くアート活動、iTunesでのラジオ配信、京都「れもんらいふデザイン塾」の開催、東京応援ロゴ「キストーキョー」デザインなどグラフィックの世界だけでなく活動の幅を広げている。https://lemonlife.jp

問い合わせ先 : オーデマ ピゲ ジャパン
www.audemarspiguet.com/jp