現代アートとのコラボレーションで、ブランドの未来を切り開く「オーデマ ピゲ」

  • 写真:岡村昌宏(CROSSOVER)
  • 文:横山いくこ

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現代アートを支援することで、時計づくりをさらに前進させる”新たな視点”を獲得するオーデマ ピゲ。彼らのチャレンジングな取り組みを、スマイルズの遠山正道さんと探ります。

黒い服に身を包んだケオラさん(右)と遠山正道さん。一見すると、ポジとネガを反転させた写真のような、ケオラさんの作品の前で。

香港の春の風物詩といえるほどの活気をみせる、世界最大級のアートフェア「アート・バーゼル香港」。会場内に、世界中から集まるコレクターやアートラバーを惹きつける一角がありました。それは、コンテンポラリーアートの支援でも知られるスイスの名門時計ブランド、「オーデマ ピゲ」のVIP向けラウンジ。ふたりの気鋭のアーティストを起用し、深遠かつ華やかな空間をつくり上げていたのです。

前回の記事「スマイルズの遠山正道さんと探る、オーデマ ピゲとコンテンポラリーアートの素敵な関係」では、空間デザインも含めた作品を披露したチリ出身のアーティスト、セバスチャン・エラズリスさんにフォーカス。経営者としての視点を併せもちながらアートについて考えるスマイルズの遠山正道さんが、エラズリスさんに話を聞きました。今回は、デジタル表現を追求するイタリア出身のビジュアルアーティストのケオラさんに注目。遠山さんとの対談を通して見えてきた、オーデマ ピゲとアートのより深い関係性を紹介していきます。

写真のようで写真ではない、データが構築する森の風景。

セバスチャン・エラズリスによる作品が中央に展示され、周囲にはオーデマ ピゲの時計が並んだVIP向けラウンジ。その一角に、もうひとりのアーティストであるケオラさんの静謐な作品が展示されていました。Courtesy of Sebastian Errazuriz Studio and Audemars Piguet

黒い壁で囲まれたオーデマ ピゲのシックなラウンジ。そこに展示された作品が目に入ると、忙しく会場を行き交う人は足を止め、食い入るように見つめていました。展示された作品のひとつは、エラズリスさんが手がけ、ラウンジの中央に配されたインスタレーション。融点に達した金属の熱量を、ゴールドで表現した作品です。もうひとつは、ケオラさんによる一見モノクロ写真のような一連のシリーズ『Remains: Vallée de Joux(名残り:ジュウ渓谷)』。静謐な闇の中に銀色に輝く、森の風景のようです。まるで太陽と月の動きが自然の中で時を刻むように、ふたつの作品のコントラストは「時」というオーデマ ピゲの本質を表現しているようです。

ケオラさんの『名残り:ジュウ渓谷』には、森に誘導されていくかのような吸引力があります。ぱっと見ただけではどうつくられた作品なのかがわかりません。凝視すると、白からグレーのグラデーションをもった無数のドットで描かれた点画のようにも見えます。さらに、極端に強調された陰影によって無限に広がる奥行きが感じられ、通常の写真表現ではないことにも気づきます。遠山さんも近くで食い入るように見たり、引いて眺めたり。それでも疑問だらけの様子です。

ジュウ渓谷にレーザースキャナーを持ち込み、データを蓄積。渓谷の自然がコンピューターで再構築され、作品になっています。
作品に近づくと、色や大きさの異なるビーズのようなドットが見えます。超高解像度のため、平面に出力しているにも関わらず立体的に見えるのです。

遠山:とにかくどういうことなのかよくわからないんですが、とても美しい作品ですね。

ケオラ:ありがとうございます。実はこれらのプリントはすべて、膨大なデジタルデータによって引き起こされたイメージなのです。いま僕たちの暮らしている世界は、自分たちで理解している以上に機械やアルゴリズムに導かれています。その機械やデータの側から世界を見たらどんな美しい風景が見えるだろうか? ということに興味をもってつくった作品なのです。

遠山:ケオラさんはもともとエンジニアなのですか? それとも最初からアーティストとして活動を始めたのですか?

ケオラ:アーティストです。ただ、とても小さい頃にコンピューターを使い始めました。10歳上の兄が建築を学んでいたので、小さい時から周りにコンピューターがあり、デジタルデータで構築される世界に触れていました。そういった幼少期からの蓄積が影響していると思います。とはいえ、コンピューターサイエンスのプロではありませんので、自分のシステムをデザインする時は、多くのエンジニアと一緒に仕事をしています。

遠山:コンピューターはあくまでも道具という位置づけですか?

ケオラ:コンピューターは、アイデアを発展させるための道具ではないと考えています。僕にとってあくまでも「コラボレーター」。自分では見つけることが不可能だった新しい世界の側面を、コンピューターは発見することができるのです。オーデマ ピゲはコンピューターではありませんが、同じく先端の技術とアートへの絶大な理解をもっています。そういう意味では、オーデマ ピゲも同じく、僕がいままで見たことのない景色を発見させてくれる最高のコラボレーターといえます。

レーザースキャナーを通して描く、現代の風景画。

時計職人の姿勢にシンパシーを感じるというケオラさん。先端テクノロジーを使う彼の尖った表現は、アート・バーゼル香港の中でも極めてユニークでした。

遠山:ここに展示されているオーデマ ピゲとのコミッションワークについて、もう少し教えてください。

ケオラ:今回の作品『名残:ジュウ渓谷』は、オーデマ ピゲが本社周辺の森を素材にし、風景画の伝統を再考した最新作品です。昔の画家たちは、彼らが魅せられた自然の中で自分のフィルターを通して風景を描きました。それと同様、僕自身が魅せられたジュウ渓谷に、高性能なレーザースキャナーを僕のフィルターとしてもち込んだのです。ヘッドが360度回転するスキャナーで、森の中をたくさんの地点から立体的に測量しました。何を測ったかというと、レーザーが森の中の木の枝や葉、草や苔、石や地面などにぶつかって戻ってくるその距離です。何十億も蓄積されたそのデータを持ち帰り、コンピューターの中に解き放ちました。それぞれの距離の先が点になり、まるで宇宙のように深い森の映像が現れるのです。

遠山:まるで印象派の画家、ジョルジュ・スーラのようだと思いました。いまの話を聞いて、スーラが光の反射が引き起こす印象で風景を捉えようとしたところに、ある意味で類似点があると思いました。

ケオラ:その通りです。僕は近代の風景画からインスピレーションを多く受けています。ただ、彼らと私では大きく違う部分があります。風景画家はその場で自然を分析して描きましたが、僕はその場ではデータの収集だけ。その後に、スタジオのコンピューターの中で解析して画像をつくり上げているんです。

遠山:スーラは風景の中に人物やボートも描きました。けれどケオラさんの森は、シンプルに木だけというミニマリズム。ちょっと日本らしい引き算的なエッセンスも感じます。

オーデマ ピゲのラウンジ内に展開されたケオラさんの作品群。「この作品はどうなっているんだ」と、鑑賞者はみな目を凝らして作品を眺めます。

ケオラ:日本の禅庭園は、シンプルに見えながら実は非常に重層的です。自然も単純に見えて、大いなる複雑さを含有しています。そういう哲学的な感覚は近いかもしれないですね。僕の作品では、莫大な情報量をひとつの平面に詰め込むことで複雑さが生まれます。また必要以上の解像度のせいで、ほとんど3Dに見えるというリアリティの錯覚が起こります。人工的に自然の見え方を整えるという方向性は、日本庭園に似ていますよね。やり方はずいぶん違いますけれど。

遠山:先端のテクノロジーという意味で、オーデマ ピゲのクラフツマンシップからインスパイアされたことはありますか?

ケオラ:オーデマ ピゲとコラボレーションするために、初めてジュウ渓谷を訪れたのは2012年です。その時以来、自分と強いつながりがあると感じていることがふたつあります。ひとつは、オーデマ ピゲの職人の仕事に対する執念とも言えるこだわり。もうひとつは、彼らが新しい価値やものを発見するために、いつも上限を上げ続けていることです。

今回、ラウンジに展示された『名残:ジュウ渓谷』はコミッションワークの2部作の最初の作品です。今年12月には、2部作のもうひとつの作品『プロムナード』がマイアミビーチで開催されるアート・バーゼルで発表され、完結する予定です。 高精度スキャナーを搭載したドローンで測量されたビッグデータを基にした映像作品とのこと。先端テクノロジーと融合したアート作品で、『名残:ジュウ渓谷』と同様、ユニークなものになりそうです。

6月のアート・バーゼルでは、気鋭のアーティストとさらなるコラボ

会期中にオーデマ ピゲのラウンジで開かれた記者会見の様子。左からオーデマピゲ取締役会副会長のオリヴィエ・オーデマ氏、セバスチャン・エラズリスさん、ケオラさん、このアートコミッションのアドバイザーを務めるアンドラス・ザントさん。

オーデマ ピゲはなぜ、コンテンポラリーアートに関わり続けるのでしょうか。オーデマ ピゲが取り組むアートコミッションのアドバイザーを務めるアンドラス・ザントは、このように表現します。「オーデマ ピゲの時計づくりは、ジュウ渓谷という谷間の”ゆりかご”のなか140年間にわたってすくすくと育ってきました。数年前からそのゆりかごにアーティストも一緒に入れて、つまり同じ振り子のリズムで時間を共有することになりました。どうやって一緒に成長できるかという、チャレンジングな試みをしているのです」。

複雑さを極める時計製造には、寸分の狂いもない精密度が要求されます。アートには複雑さはあっても、コンセプト次第でその精密度は大きな幅をもたせることもできる柔軟性があります。そういった意味で、時計づくりとアートは性格の違う兄弟のような関係にあり、互いに大きな刺激を与え合うことができるに違いありません。

1973年生まれのルース・ジャーマン(左)と1972年生まれのジョー・ゲルヘルド(右)による「セミコンダクター」が、今年6月のアート・バーゼルで新たなコミッションワークを発表する。

アート・バーゼル香港では、ふたりのアーティストが作品を発表しました。6中旬に行われた本家アート・バーゼルでは、さらに別のアーティストが作品を発表しました。ジュネーブに本拠地を置く欧州原子核研究所(CERN)のアートプログラムのディレクター、モニカ・ベッロをキュレーターに迎えて展開するのは、イギリスを拠点にする気鋭のアーティスト「セミコンダクター」の新作『HALO(ハロ)』。物理科学を主なテーマする映像作品で知られる、ルース・ジャーマンとジョー・ゲルヘルドによるデュオは、エラズリスさんやケオラとはまた違う驚きをもたらしました。その詳細は、次回のレポートで紹介します。

オーデマ ピゲが手がけるコミッションワークは、アートというジャンルさえ更新していくような意欲的なプロジェクトです。単に企業哲学を広めるマーケティングの枠をはるかに超えて、自分たちの伝統ある理念や技術を未来に向けて刷新し続けているのです。

ケオラ
Quayola

●1982年、イタリア・ローマ生まれ。最先端のソフトウェアやコンピューター技術、プログラミングを用いて、没入型のビジュアルインスタレーションを制作する。自然物と人工物、具象と抽象、古さと新しさの間に存在する対話や、予測のつかない衝突や緊張、均衡を追求してい。作品では、写真や配列、タイムベースデジタル彫刻、オーディオも含むビジュアルインスタレーションやパフォーマンスを用いる。2012 年のロイヤル オーク40周記念展で、オーデマ ピゲと初めてコラボレーションを行った。 www.quayola.com 


遠山正道
Masamichi Toyama

●1962年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、三菱商事に入社。99年に「スープ ストック トーキョー」第1号店をオープンさせた後、2000年にスマイルズ設立。ネクタイ専門店「giraffe(ジラフ)」、新しいリサイクルショップ「PASS THE BATON(パス・ザ・バトン)」などを展開。アートコレクターとして知られ、自身もアーティストとして活動。今春より、小さくてユニークなミュージアムを世界中につくりつないでいく「The Chain Museum(ザ・チェーン・ミュージアム)」(www.thechainmuseum.art)プロジェクトを開始。www.smiles.co.jp


セミコンダクター
Semiconductor

●ルース・ジャーマンとジョー・ゲアハルトによる、イギリスのアーティスト・デュオ。1997年に結成。この世界の物質的側面を人がいかに体験し、理解しようと努め、物質世界における居場所に疑問を投げかけるのかを追求する映像作品を制作。最近は欧州原子核研究機構(CERN)、スミソニアン国立自然史博物館、カリフォルニア大学バークレー校NASA宇宙科学研究所などでフェローシップの機会を得て、人間社会を取り巻く物質世界を、人がどう理解しているかを考察する作品を手がけている。http://semiconductorfilms.com




問い合わせ先 : オーデマ ピゲ ジャパン
www.audemarspiguet.com/jp