~煮込みはいつ食べる?編~「宇ち多゛語」をマスターして、呑んベえの聖地立石へ

~煮込みはいつ食べる?編~「宇ち多゛語」をマスターして、呑んベえの聖地立石へ

~煮込みはいつ食べる?編~「宇ち多゛語」をマスターして、呑んベえの聖地立石へ

黒いフアが好きなんだ、独特の食感がたまらない。いや、絶対にハツモトだろ、あのコリコリ感がいいんだよ。俺は絶対にコッテリ派、だから白いアブラのとこがいいなぁ。思い思いのモツ談義で、もう1杯ウメ割りが進んでしまう。それが世の煮込みの頂点、宇ち多゛の煮込みの罪なところだ。
そして、もう1つ常連たちを悩ませるのが、「いつ食べるか?」問題だ。

宇ち多゛の店内で耳を澄ましていると、煮込みの注文が1つではないことに気づくはずだ。「白いとこ」やら「黒いの」やら、まして口開けに宇ち入りすると料理が出ていないのに、すでに嬉々として割り箸を持っている人たちがいる。
不思議な呪文も、笑顔の訳も宇ち多゛語をマスターすれば一目瞭然、立石バイリンガルになる宇ち多゛語マスター講座、いよいよ煮込み編に突入する。

~煮込みはいつ食べる?編~「宇ち多゛語」をマスターして、呑んベえの聖地立石へ

まずは、謎の割り箸の正体を明かそう。それは口開けに並んだ者だけが遭遇できる希少部位、豚の顎肉「ホネ」を獲得した証しだ。口開けに並んでいると、開店が近くなった頃スタッフのソウさんがホネコールのため、店の外に出てくる。通常は10皿程度だろうか、表(鍋側は出口専用だが、口開け時のみ入口になる)でもオーダーがあるはずだから超絶レア。ホネ権を獲得して入店すると、箸が配られる前にホネを配る目安として権利者の前に割り箸が置かれるという仕組みだ。

ホネが入っている位だから、開店当時の煮込みにはあらゆる部位が入っている。もちろん、初心者はまず「煮込み」とだけ注文しよう。もしかしたら、「混ぜて?」と聞かれるかもしれない。その時は「はい!」と答えよう。
この頃の煮込みは、まだ煮込みが浅いのでモツ本来の味が際立っていて、それぞれの部位の本来の歯応えも存分に堪能することができる。何度か食べてみて、自分の好みがはっきりして来たら、いよいよ応用編に入ろう。

「煮込み、白いとこ」、マスターが煮込みの中から、丁寧にシロやハツモト(大動脈)などの白い所を中心に装ってくれる。これは「煮込み、黒いとこ以外」という注文の仕方もある。比較的、接客に余裕があると、ソウさんから「白いとこ以外ね」と突っ込まれるかもしれないが心配は無用。ちゃんと、注文通りの煮込みが目の前に置かれる。

フア(肺)は個性がないような、あるような不思議な部位なので、熱狂的な愛好者と苦手派にはっきりと別れる。フア好きの人は迷わず、「煮込み、黒いとこ」と注文しよう。
フアやレバーなど黒い所を中心の煮込みが登場する。そのほか、「煮込み、ハツモト」や「煮込み、アブラのとこ」なんて注文にも、優しく対応してくれるのが宇ち多゛だ。

~煮込みはいつ食べる?編~「宇ち多゛語」をマスターして、呑んベえの聖地立石へ

客たちの我が儘な注文を静かに連呼しながら、大鍋の前で丁寧にモツの部位を取り分けてくれるマスターこと二代目。宇ち多゛ファンは決して、マスターに足を向けては寝れないはずだ。でも、そんな我が儘注文も、モツの部位が「夜の四天王」こと、レバ、シロ、ガツ、アブラだけになってしまう夕方〜夜には通らなくなる。取り分ける程の種類が、もう大鍋の中に残っていないからだ。

それでも、恐る恐る「白いとこ」と注文すると、「はい、できるだけ白いとこ入るようにしようね」とマスター。このホスピタリティこそが、宇ち多゛を他の店とは違う次元に持ち上げている所以だ。

いろいろなご褒美に出逢えて、いろんな部位が選べる口開けの幸せ、夕方のふとした時間の挟間にほとんど並ばずに入れた時のお得感。でも、ほとんどの部位が売り切れてしまう夜に宇ち入りした者には、最上級の煮込みという至福が待っている。
それが、常連たちを長年悩ませる「煮込みはいつ食べるか?」問題だ。

ありとあらゆるモツが渾然一体となって、長年注ぎ足されて来た大鍋の中で、もはや1つのソースに変容しかけている煮込み。一つひとつの部位の味というより、上質なシチューのような複雑な味わいの中で、わずかに残った食感だけがそれぞれの部位を主張する…。一度、その煮込みの味を知ってしまうと、もう後戻りはできない。
でも、浅い煮込みの食感や、選び放題の昼間もいいなぁ。
結局、宇ち多゛ファンたちは、1年中、その命題で悩み続けている。

ゴボウや人参などの根菜や、コンニャクなど、一切の混ぜ物が入らない、どこよりも潔い孤高の煮込みは、「生」、「モツ焼き」と共に宇ち多゛の誇りであり看板だ。
焼き上がりを待つ間に、生を頼むか、煮込みを頼むか、思い切って両方頼むか、宇ち多゛での悩みはそのくらいしかない。
余計なことを考えずに、ストレートの焼酎の杯を重ね、モツに食らいつく。暖簾前で肩を落としていた人たちも、帰りにはご機嫌になっている。それは強い酒のせいじゃない、宇ち多゛でしか出逢えない極上の時間の成せる技だ。