コロナ禍で破綻したJ.クルーの、“あの時代のアメリカ”を表現したカタロ...

コロナ禍で破綻したJ.クルーの、“あの時代のアメリカ”を表現したカタログは素敵だった。

コロナ禍で破綻したJ.クルーの、“あの時代のアメリカ”を表現したカタログは素敵だった。

一時は何十冊もカタログを所持していましたが、フリーになる前に全部処分してしまい、手元に残っているのはここ10数年のもので、しかも数冊だけ。処分しなければよかったと、後悔はいつも先に立たず。

昨年末からのコロナ禍の影響で、世の中すべてのものが大変な状況になっています。ファッションも例外ではありません。

5月初旬、アメリカからショッキングな情報がもたされました。何度も取材をしたブランド「J.クルー」が日本の民事再生法にあたるチャプター11を申請して破綻したというのです。別ブランドで展開している「メイドウェル」を含めると、全米で300店以上を展開、日本からでも買えるウエブサイトまで展開していましたが、今回のウイルスショックを乗り越えることはできなかったようです。

J.クルーをはじめて知ったのは、80年代の終わりだったと思います。メイン州のフリーポートへ「L.L.ビーン」の本店に取材に行ったときに「J.CREW」と書かれたショッピングバックを持つ人をたくさん見掛けたのです。「J.クルー? 知らないブランドだな」と、職業柄、未知のブランドにはすぐに反応してしまう私です。

フリーポートでは時間がなくJ.クルーの店には行けなかったのですが、ニューヨークに戻り、コーディネーターが教えてくれたサウスストリートシーポートにあった「J.クルー」のショップに出掛けました。

当時、ニューヨークでJ.クルーのショップがあったのはここだけだったと思います。小さな店構えでしたが、天井近くまで商品がふんだんに積まれた店でした。展開されている商品はトラッドをベースにしながらもプレッピー的でカジュアル。ラルフ ローレンやブルックス ブラザーズの同じような商品よりも買いやすい価格設定で、クリーンなイメージに好感がもてました。

これも職業病なのですが、店内に置かれていたカタログを手に取りました。これまでのアメリカの一般的なカタログとは違い、ビジュアルに凝っています。モデルカットはすごく自然な感じで撮っていて、商品の置き撮りの仕方も独特です。同じ商品をたくさんスタッキングしたり、広げて並べて撮るカットはJ.クルーが始めたのでないでしょうか。

コロナ禍で破綻したJ.クルーの、“あの時代のアメリカ”を表現したカタログは素敵だった。

80年代末にニューヨーク店を訪れたときに家人のために購入したコットンフランネルのガウン。タータンチェックを貼り合わせたクレージーパターンが「J.クルー」らしい。

コロナ禍で破綻したJ.クルーの、“あの時代のアメリカ”を表現したカタログは素敵だった。

日本撤退最後のシーズンに購入したツイードハット。大事に愛用しています。そういえば、「J.クルー」を日本でやっていたR社もコロナ禍で「J.クルー」と同じ立場になってしまいましたが、、、

思えば、アメリカはカタログ文化の国です。

起源は19世紀と言われています。ミネソタの駅員だったリチャード・ウォーレン・シアーズが地方に住む農民のためにカタログを使って商売をスタート、あの「シアーズ・ローバック」の始まりです。高校生の頃、古書店で見つけた「シアーズ・ローバック」のカタログは電話帳のような厚さがありました。広大な国土を持つアメリカではカタログは重要なツールでした。現代人がパソコンを使ってネット通飯を楽しむように、みんな紙のカタログを使って注文していたのです。だからカタログ文化がアメリカで花開いたのです。

しかしJ.クルーのカタログはこれまでの多くのアメリカブランドのカタログとはイメージを異にしていました。多くのカタログが商品情報に重きを置いたのに対して、「J.クルー」はブランドの世界観を描きました。それもシンプルで誰でも到達できそうなノンシャラン(=気取りのない生活)を連想させるものでした。極論すれば、商品のクオリティ以上によく見える、それがJ.クルーのカタログの特徴だったのです。

それからはアメリカに行くたびにJ.クルーのショップに立ち寄り、必ずカタログを持ち帰りました。あのカタログを参考に何度撮影方法やページを考えたことか。後日、取材の折に聞いた話では、毎日世界中のどこかでカタログのモデル撮影をやっているほど、カタログ制作に重きを置いているとか。確か日本で撮影を行ったカタログもあったかと思います。私はこのカタログがJ.クルーの肝だったのではないかと思っています。

コロナ禍で破綻したJ.クルーの、“あの時代のアメリカ”を表現したカタログは素敵だった。

2000年代末ぐらいから、「J.クルー」はさまざまなブランドとコラボ。「リカーストア」など、斬新なショップもつくりました。これは「ニューバランス」とコラボしたM1400。大好きでした。

コロナ禍で破綻したJ.クルーの、“あの時代のアメリカ”を表現したカタログは素敵だった。

「J.クルー」のカタログではありません。アメリカで発行された「J.CREWD」というタイトルのパロディ本。パロディのネタになるほど、同ブランドのカタログは有名。よく見ると、トイレに腰掛けた男性が持つのは「J.クルー」の実際のカタログです。

そもそもJ.クルーは80年代にカタログビジネスで大きく飛躍を遂げたブランドです。エミリー・シナダーという当時の経営者の娘がチーフデザイナーになり、このカタログのアイデアを考え、クリエイティブをディレクションしていたと聞きました。会ったことはありませんが、このカタログはその女性そのもの。そんなブランドが300店ものショップを運営するように大きくなった現在では、カタログで培ったブランドの世界観を店で完璧に表現し続けるのはかなり無理がああったのかもしれません。

そういう意味では、私が初めて見たニューヨークのあの小さな店は、商品をうずたかくスタッキングしたり、シワの入ったシャツを畳まずフックにかけていたりしていて、カタログの世界観、ビジュアル表現をうまく生かしていたと思います。ましてや現在のようにネット社会になってしまうと、誰もが目標の単品のアイテムをすぐにクリックしてしまうので、紙のカタログが持つ独特の世界観はなかなか伝わらないのではないでしょうか。ブランドを大きくしていくのは難しいものです。実際、いま「J.クルー」のウエブサイトを眺めてみても、サイトのデザインや商品が印象に残ることは少なく、昔入手した紙のカタログのほうがずっと心に留まるように思います。

アメリカの会社は売られてしまったり、オーナーが変わってしまうと、資料になるようなアーカイブが一緒に売られてしまうことが多いと聞きます。商品ももちろんですが、J.クルーがつくっていたカタログは時代を写す鏡、財産です。きちんと保存され続けることを祈るばかりです。