感動か、眠いか !? 135万回再生のライヒ作曲「18人の音楽家のため...

感動か、眠いか !? 135万回再生のライヒ作曲「18人の音楽家のための音楽」の演奏。

※注
今回は話が長いですよっ。
承知してご覧いただくか、前半部分はすっ飛ばしてYoutube動画あたりまでスクロールすることをご推奨いたします。
 ーーー筆者より。


音楽を聴くのはもっぱら、オーディオで再生する録音された曲です。
ライブには行きません、まったく。
録音作品のほうが完成度が高く感じるからって理由もありますが、舞台公演がなぜか苦手なんですよ。
(同様に芝居も不得手)
悪いのは自分のほうだと自覚してますが、速攻で飽きてしまいます。
最前列で観たボブ・ディランは数曲で寝落ちし、ガンズ・アンド・ローゼズも爆音の中で熟睡。
U2もオアシスも、ほぼ記憶が飛んでます。
(ボーイズⅡメンは歌が素晴らしかった、と、他人が書いた日記を読んだかのごとく頭の中で描写できますが)


そんな私が人生でいちどだけ、「来てよかった !!」と身体が震えたコンサートがあります。
若かりし頃の1990年代に、丹下健三が設計した東京カテドラル聖マリア大聖堂(コンクリート教会)で行われた、
アメリカの男性合唱団「シャンティクリア」の公演。


ひとりでチケット取って仕事帰り(MRハイファッションというメンズ誌の編集者でした)に足を運びました。
教会内は大学の教室のように幾つかの通路を挟んで奥の祭壇に向かって長椅子が4ブロック並び、私はいちばん後ろの席の通路側に。
観客は皆大人で静かに着席し、ときおり鳴る屋外の風切り音がさらなる静寂を生んでいました。


緊張が高まったころ、どこからか、かすかに単旋律のグレゴリオ聖歌の歌声が。
きょろきょろと見回しても演奏者はおらず、仕方なく再び前を向きました。
声はだんだん大きくなり、まるで近づいてくるかのよう。
ステレオ演奏なのにスピーカーの位置がわからない不思議さです。


しばらくして軽く後ろを見て、ハッと気づきました。
観客席(聖堂での呼び名がわからず)の背後の左右から、
シャンティクリアの10数名が歌いながら静かに歩いてくるではありませんか!
マイクなし楽器なしのア・カペラで。
全員が中世の僧侶のようなフードを深く被って顔を隠し、後ろの中央で合流して横一列にずらりと立ち並びました。
聖歌は歌われ続け、教会の入り口にあたる位置から奥の祭壇に向かってぶわっと広がっていきます。
すると次に、集団が3つのグループに分かれて個別に3つの通路に進み出て、
一斉にゆっくりと正面の祭壇に歩き出しました。
息が掛かりそうなほどすぐ横を彼らが合唱しながら通過し、
ひとかたまりの音楽(音場)が横一直線上に祭壇へ移動していくこの空間の凄さときたら!!


背筋がゾクッとして、たぶんいまなら泣きます、きっと。
このときは感無量になりつつも、「天然サラウンドだ…」とわかったようなわからんような言葉を考えてましたけども。
昨年の2019年に、六本木ヒルズで美術家の塩田千春さんの大展覧会「魂がふるえる」を観て感銘を受けたときも思いましたが、
「世の中がどれほどデジタルでヴァーチャルになろうとも、人の手の温もりと迫力には及ばないな」
なんて。


え〜、だいぶ長話してきましたが、今回の主題とはさほど関係ないです!
(マジか)
アナログ・イズ・ベストという観点では結びついてます。
5月22日公開のfrom Creatorsの記事で、小さいのによく鳴るスピーカーを手に入れて再び上等な音楽を聴くようになったという話をしましたが、
いま毎日家で流し続けているのが、20世紀ミニマル音楽の大家、スティーヴ・ライヒの楽曲。


大音量ライブでもコーヒーがぶ飲みでも爆睡する人間ながら、淡々とリズムを刻むばかりの曲なのに(語弊があるのは重々承知)、
むしろ目が冴えて集中力が高まってきます。
テクノ、エレクトロといったポピュラー音楽の原型ともいえる、
音の粒がシャープなライヒの曲は、
都会や自然の風景が描かれ、ときに政治主張があり、
明快なメロディがなくても情感豊かでカラフル。
そこがスゴイです。
なんだこりゃです。


でも!
家のオーディオでライヒを初めて聴くと、「つまらん」って人も少なからずかと。
そこで、135万回再生されてるコンサートのYoutube動画を見つけましたのでご紹介を。
真剣に演奏されている様子を見てると、曲があたかも生き物のように体温を持ってきます。
1976年初演の代表作、「18人の音楽家のための音楽」です。


Steve Reich, "Music for 18 Musicians" - FULL PERFORMANCE with eighth blackbird


現代音楽演奏集団、エイスブラックバードによる2011年の演奏。
ドラムスティックメーカーのVic FirthによるYoutube公開なのが、う〜ん納得(そんな音楽です)。
ピアノが4台も!
コーラスの人もいますが、フェードイン、フェードアウトがマイクパフォーマンス(?)による、むっちゃアナログな手法です。
(なんのこっちゃ)


長さが1時間ありますので、もしキュルキュルしたい人は29分あたりに移りましょう。
照明が暗くなり、シロフォン(木琴)とピアノのみのスタイリッシュな演奏に浸れます。

そして34分30秒からが目が(耳が)離せません。
突然シャカシャカとマラカスを振る演奏が加わり、ステージがググッと華やかに。
緊張感が和らいだのか、コーラスの女性の中には笑顔を見せる人も。
すっごい素敵な瞬間だと思います。


まさしくステージ映像の醍醐味。
ただ一方でこれこそが、私が初めて聴く曲のときに映像を見ないようにしている理由でもあります。
凝った映像、そして演奏者のルックスとパフォーマンスを、音楽と切り離して考えたいんです。
私はMTV全盛世代ですから、10代の頃は洋楽=PV映像でもありました。
いま振り返ると、
「ずいぶんと映像にごまかされてきたな」
と疑念を抱いております。
凡庸な曲でも、優れていると感じさせられてきました。
曲好きなのかサウンド好きなのか、ミュージシャン好きなのかステージ好きなのか、はたまたお祭り騒ぎ好きなのか、それが曖昧なのが音楽ジャンルの魅力のひとつなのはわかってるつもりですけども。


ライヒのように耳が慣れるまでの敷居が高い音楽の場合、ステージ映像はとても効果的ですね。
演奏シーンが脳の活動をサポートしてくれますから。
視覚情報が聴覚の解釈を補ってくれる。


このYoutube動画で2番目のクライマックスは、最後も最後、1時間3分15秒あたりから。
演奏が終わったのか観客が不安でいっぱいな中での拍手喝采と、演奏者たちの笑顔がステキ〜〜ってなりますよ。


話戻って、この曲の半ばでの唐突なマラカスの登場は、ライヒファンの間でも賛否両論な気がします。
演奏シーンを観たことなく1978年の初録音音源(ECMレーベル)をオーディオで聴いて親しんでる人は、
「この曲調の変化ナシで最後まで淡々と押し切ってたらどうだろう?」
と、私のように考えたことがあるのでは?
マラカスのインパクトが強すぎるという意見もあるはず。
映像で “見る” 音楽との認識の違いです。


Palestrina: Motets, Book 5: "Gaude gloriosa", Chanticleer


ここで気分を変えまして、透明な歌声シャンティクリアの、世代交代も進む18年の新アルバムリリース時の映像を。
ルネサンス音楽が歌われております。



それでは今回のお話の〆に、
クラシック音楽ウエブメディア「edy classic」が18年に公開した、1985年のステーヴ・ライヒ49歳時のインタビュー記事の一部をご覧ください。
引用文中のBDとは、インタビューアのブルース・ダフィーさんのこと。


第4回 スティーヴ・ライヒ(前編)【20世紀アメリカの作曲家インタビュー】

BD:レコーディングについてお聞きします。自分の作品がプラスチックに埋め込まれる気分はいかがなものでしょう?


SR:大歓迎! 今の時代においては作曲家にとって起こり得る、いちばんの重要事項だね。作曲家を集めて聞けば、みんな楽譜が出版されるより、レコーディングされることの方が重要だと言うだろうね。わたしはレコードとともに育った。録音された音で育ったんだ。

ストラビンスキーの『春の祭典』は、ライブで聴くより先にレコードで聴いていた。『ブランデンブルク協奏曲』もライブより先に、レコードで聴いていた。チャーリー・パーカーもマイルス・デイビスもケニー・クラークもライブより先にレコードで聴いた。だから音楽のサウンドに対する感じ方は、レコードで聴いた印象にすごく影響されている。


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