
Pen Onlineがリニューアルしたので改めて自分が書いたブログを見返してみて、困ったことに気づいた。
例大祭について#1などと続編があるかのような書きぶりをしたのに、
以来2年近く放置してしまった。反省。
ということで第二段!
少々おさらいしておくと、例大祭というのはその神社でもっとも重要な祭り。
私がお仕えする常陸國總社宮の場合、街中を巻き込んで盛大に行われ、「関東三大祭」の異名を取る。
毎年9月15日が「例祭」、つまり最も重要な儀式が行われ、
それに伴って敬老の日を3日目とする連休に神様が街中に繰り出す「御神幸(ごじんこう)」が行われる。
てなわけで、9月に入ると氏子さんたちに
「いや~ネギさん忙しいでしょ~、もう9月だもんな!」
「いよいよお祭りだね~。忙しいでしょ~?」
「今年のお祭りは晴れるといいね~。忙しくなってくるね~」
というお言葉をいただきます。
でも実は9月になるず~っと以前から祭りの準備は始まっているのです!
まず石岡の人々はその年の祭りが終わると「次の祭りまで364日!」と数え始めると言われます。
誇張ではなく、本当に数えてます(汗)。
私もその年の祭りが終わると祭り関係の各団体から笠貫き(打ち上げ)のお誘いを受け、
地酒の波に翻弄されながら次年度の祭りへ向けて反省点を洗い出し、
「次こそこんな風にやったる!」的な計画を一年前から練り上げていきます。
そして今年は2つの目玉を暖めていました。
その第一弾がこれ!

その名も「幌獅子總揃(ほろじしそうぞろえ)」!!
漢字が多すぎて意味わからん!というそこの貴兄、説明しよう。我が例大祭の名物の一つが「幌獅子」。大きさ約60cm、大きいものでは重さ20~30kgという大きな獅子頭の後ろにトラック大の台車が付属するアヴァンギャルドかつ石岡独自の出し物です。
大人の男がかぶって持つ獅子頭の後頭部から台車まで大きな幌がバサリとかけられているため、これを「幌獅子」と称する。獅子頭はいずれも寄木の手作りで、漆や金箔で着色してある。石岡の男はこれを一人で持てて初めて一人前なのだ。
この幌獅子、もともとは土橋町、という氏子の町内で江戸時代に祭りに出し始めたのが始まり。
当時の人ってクリエイティヴだと思いますよ。
だって「神様って何やったら喜んでくれっかな?」→「獅子舞じゃね?後ろに台車つけて幌かぶせっぺ!」
ってなかなかそうは思いつきませんよ。
というわけでみんなこいつはイイ!と思ったのか、幌獅子登場から200年以上経った今年、登場する幌獅子は30台を超えました。幌獅子はいずれも氏子の各町内の持ち物で、神様が乗る神輿のお供をするために神社に集います。
しかしこれまで神社の境内にはスペースが限られていたため、境内に入れない町内の獅子はその近辺で待機せざるを得ませんでした。そこで浮上したのが神社の隣の石岡小学校の校庭というスペース。
実はこの学校、私の母校でもあるんですが、何を隠そうその地面に遺跡が隠れているんです。それは「常陸国衙」の遺跡。石岡市ってかつて存在していた「常陸国」の中心地で、そのさらに中心の役所が常陸國總社宮の隣にありました。というよりも常陸国衙で行われる神祭りの場として、当宮が創建されたと言ったほうがわかりやすいでしょう。つまり私の母校の地面にある遺跡はもともと神社と不可分の関係にあったんですね~。
てなわけでこの国衙跡に全部の獅子に勢ぞろいしてもらうべ!というのがこの企画。これまですべての幌獅子が一堂に会するところを見ることはできませんでしたので、地元ではちょっとしたニュースです。
思えば今年の例大祭は5連休の真っ只中。見物に来られるなら、9月19日の午後1時半くらいまでに神社を目指してお越し下さい!
私はテンパっててお相手できないかもしれませんけれど・・・。
というわけで2つ目の隠し玉は次回(今度はすぐに書きます。。。)