電柱を減らせば日本の魅力はさらに増す?

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    電柱を減らせば日本の魅力はさらに増す?

    ngkaki-iStock.

    昨年12月に無電柱化推進法が公布されたが、3500万本以上の電柱が林立する日本はこれで変わるのか。「これだけ多くの電線や電柱が地上に露出しているのは、世界的に見ると奇異」という東京大学の松原隆一郎教授にインタビューした。

    日本の狭い空へと、一斉に突き刺さる電柱や電信柱、複雑に重なり合う電線や電話線。こうした風景を、好んで撮影する外国人観光客もいるにはいる。だが、その姿勢には「極東のハイテク国家の意外な一面」を母国の友人たちに伝えるニュアンスが含まれていそうだ。

    電線などを地中に埋設する「無電柱化」の都市政策は、国際的な趨勢である。すでに無電柱化率100%を達成しているパリやロンドン、シンガポールを筆頭に、ニューヨークは83%、ソウルで46%、北京で34%まで進んでいる。

    日本国内でも、東京都下の国道や都道域に限れば、無電柱化率は35%に達する。しかし、東京23区全体では7%、多摩地域(都下のうち23区と島嶼部を除く地域)で2%。地方に目を向ければ1%に満たない都市も多い(数値はいずれも2014年現在)。

    日本全国に3500万本以上が現在も林立しているという電柱は、はたして日本の残すべき個性か、それとも正すべき恥部か。現東京都知事の小池百合子氏と共著で『無電柱革命――街の景観が一新し、安全性が高まる』(PHP新書)を出版した、東京大学大学院総合文化研究科の松原隆一郎教授に話を聞いた。

    ――まず、電柱や電線が地上に存在することのデメリットとは?

    3つあります。

    1つ目は「震災対応」です。私も小池さんも、1995年の阪神淡路大震災で被災したのですが、電線に引っ張られて多くの電柱が連鎖的に倒れてしまい、道がふさがれ、救急車や消防車が入れず、救命活動や消火活動が遅れたという実態があります。

    熊本地震でも約400本の電柱が倒れましたし、首都直下地震が起きれば同様の問題が生じることは間違いありません。緊急輸送道路に指定されているのに電柱が立ったままの場所も、まだ多いです。

    2つ目が「交通安全」です。車が電柱にぶつかると、他の衝突事故に比べて乗員の死亡率が10倍に跳ね上がると、国土交通省も発表しています。

    3つ目が「景観の確保」です。日本人の多くはあまり気にしませんが、これだけ多くの電線や電柱が地上に露出しているのは、世界的に見ると奇異な光景です。ただし、直感的に「美しくない街だ」と思わない人々に対して、この点を論じて説得しようとしても仕方がない面があります。

    本の中には書いていないのですが、地上の電線や電柱は一種の「公害」といえます。デメリットが3つも重なっているのですから、いわば産業廃棄物です。電線を地中に埋めれば済むのですが、これには電柱を立てるのと比較して多額のコスト負担を要します。

    つまり、電力会社や電話会社は、経済合理性を優先させて、公共の場所に電柱や電線という"産廃"を放置している状態といえるわけです。

    電柱は「公害」

    ――公共空間に産廃を捨てられては、たしかに困りますね。

    たとえば騒音を出す工場があって、その近隣に後から引っ越してきた住民がいたとしても、この場合は、従来からあった工場のほうに騒音を出すことを正当化する権原(法律上の原因)があるといえます。工場の近くに引っ越してきた住民が、騒音を公害だと主張するのは筋が通りません。

    ただ、電柱の場合はどうでしょう。人々の居住空間に後になって電柱が割り込んできたと私は考えているので、これは公害だと思うのです。とはいえ、欧米諸国に早く追いつこうとする産業発展の途上段階では「ある程度の公害は我慢しよう」というのが日本社会の共通認識としてあって、それでずっと電柱公害も見過ごされてきたのではないでしょうか。

    ――日本人は電柱や電線のある街の風景に慣れてしまっているのでしょうか。

    子どもの頃からその環境が当たり前だと思っていれば、慣れるでしょうね。日本は明治時代から電柱に電線を架けることを前提とした街づくりを進めてきました。

    戦前に日本が管理していた旧植民地の中でも、当時「理想的な街」を作ろうとした満州では、電線を初めから地下に埋設しています。一方「日本的な街」が整備された朝鮮半島では、たくさんの電柱が立てられました。ただ、戦後に韓国が積極的に無電柱化を進めたことで、結果的に日本は追い越されたわけですね。

    ――欧米では最初から無電柱化を念頭に入れて街づくりをしてきたのでしょうか。

    ええ。ただし、国によって無電柱化の理由や背景が異なります。

    イギリスでは、ガス事業や水道事業と同じ競争条件、同等の敷設コストを電気事業にも課すため、電線を地下に埋めさせました。ガス管や水道管を空中に通すわけにはいかないので、電気事業との不公平感を取り除くという政策的な狙いです。

    被覆のない裸電線が多かったアメリカでは、感電事故が多く発生したので、無電柱化は事故防止の要請から行われました。

    欧米では、地上に露出した電柱や電線が「公害」と認識されているので、無電柱化のために要する費用は、電力会社や電信電話会社が負担します。水俣病公害のチッソと同じです。

    ただ、日本では、電線や通信網も経済発展に欠かせない公益性があり、重要な社会基盤だったと考えられていて、少なくとも国道については電線の埋設費用を政府が助成してきました。地中にスペースを確保するので、そこを通してくださいよと。

    無電柱化には費用がかかるという人がいるけれども、本来は税金を使う必要はないわけです。公害なんですから、その原因を作った当事者が負担すべきなのです。

    昔ながらの景観確保を目指す京都・先斗町の試み

    ――長年の議論の末、昨年12月に公布ならびに施行された「無電柱化の推進に関する法律」について教えてください。

    具体的なことは何も書かれていないんです。「国の責務」「地方公共団体の責務」「関係事業者の責務」「国民の努力」を理念として定めていますが、誰かに何かを法的に義務づける内容ではありません。

    ただ、今後は国の費用負担で無電柱化を実施することはありません。幅員の広い国道や都道は、既に地下ケーブル用のスペースが確保されていますので、これ以上やることはないのです。

    熱心なのは豊島区

    その他の地方道で、今後は無電柱化に取り組んでいくことになりますし、おのずと全国各地で「無電柱化モデル地区」ができていくはずです。

    東京都下で無電柱化に熱心なのは豊島区で、巣鴨をそのモデル地区にしようとしています。そうして、地蔵通り商店街の観光客誘致を図ろうとする狙いがあります。

    ――豊島区の住民も無電柱化に熱心なのでしょうか。

    住民はそうでもないと思いますよ。でも、急に住民の意識が変わる瞬間というのもありまして、たとえば埼玉の川越です。もともとは反対の住民が多かったのですが、無電柱化をきっかけに観光客が急増したので、今では自分で費用を出して電線を地中に埋める店もあるぐらいです。無電柱化によって、街の人気が向上すれば、地価も上がります。

    ――街が綺麗になるだけでなく、「得をする」という現実的なモチベーションを伴うならば、われわれ民間人も動きやすいです。

    京都の先斗町でも、無電柱化を進めようとしています。観光客に喜んでもらえるような、昔ながらの景観の確保が目的です。

    ――ご著書の中で、先斗町ではなかなか無電柱化を進められないとお書きでしたね。

    でも、やろうという方向になっています。あれだけ狭い道から電柱をなくすのですから、誰も文句は言わないですよね。すでに多くのガス管や水道管が地下で張り巡らされていて、権利関係もややこしいし、無電柱化は絶対に無理だと言われていたのですが、それでもやると。

    また、小池都知事は現在、無電柱化を進める都内の自治体に助成金を出すと表明しています。環境大臣時代には「クールビズ」でネクタイを引っこ抜いたから、今度は電柱を引っこ抜くと言っていますし(笑)。

    東京都は東京電力の大株主でもあるので、都知事ならば無電柱化を直接交渉できる余地があります。また、無電柱化の条例を作る自治体も、これからどんどんできていくでしょう。

    ――昨年、つくば市(茨城県)が制定していますね。

    ええ、つくば市の条例は電柱の新設禁止を定めており、それに違反し、市からの勧告にも従わない業者があれば、名前を公表することにしています。国の法律と比較しても、かなり踏み込んだ内容です。そのほか、芦屋市(兵庫県)でも条例化の検討が行われています。

    無電柱化の方法は、決してひとつではなく、多様な「メニュー」があるのです。お金をかけないやり方もあります。全国のあちこちで実験をして、妙案は真似し合えばいいのです。

    ◇ ◇ ◇

    日本の街から電柱が減っていけば、観光客が増えていくなどという直接的な関連性はないかもしれない。ただし、和の風景の中に「捨てられた」電柱や電線が、せっかくのフォトジェニックぶりを損なわせているのは確かだ。

    訪れた観光客一人ひとりが、様々な美しさや魅力を捉えた写真や動画を、思い思いにSNSでシェアすることで、日本の多彩な魅力が世界へ広がり浸透していく。その蓄積は、長い目で見れば外国人観光客の増加と、国際的な経済基盤の強化に結びつくだろう。

    長嶺超輝(ライター)