パリで大盛況だった展覧会のエッセンスを凝縮! 荒木経惟の『東京墓情』展が開催中。

  • 文:粟生田 弓

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東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールで荒木経惟の個展『東京墓情』がスタートしました。本展は昨年、パリのギメ東洋美術館で盛況のまま幕を閉じた大規模個展『ARAKI』のエッセンスを凝縮した展覧会で、タイトルの『東京墓情』はギメで発表された新作「Tombeau Tokyo」の荒木流の翻訳。曰く「ダジャレなんだよね。ある時期から東京は墓場になっていると思っていたわけよ」。写っているのは、いよいよ果てようとする花々、刺青の男、手脚をもぎ取られた人形、そして東京の街……。荒木経惟が見つめてきた50年分の風俗です。

今回、数ある作品の中でも、ひときわ目を奪われるのは妻、陽子の写真。
「いま一点、選べと言われたらこれなんですよ。前に住んでいた家のソファに座ってテレビを見ている。すぐ隣にアタシがいたの。ふたりはものすごい深い関係にあるのに、孤独感がある。独り。でも本当はすぐそばに私がいて、なかなかいいだろう。それが出ちゃっているの」

思えば荒木の作品世界には、必ずといってよいほど「生」と「死」という言葉が行き交いますが、そのことは1990年に早世した陽子の存在を抜きに語ることはできないだろうと思いますし、もっと言えば、荒木本人が陽子の「死」を表現してきたのです。ですが、いま、こうして選ばれた写真の彼女は、孤独に見えても、その実、横には荒木がいるという、なかなかいい「生」の姿として語られる。このことは、荒木の中で変化が起きていることを想像させます。

その死生観は、2008年に自身が患った前立腺がんという大病や、3.11という大きな出来事に写真で向き合うごとに、少しずつ変化してきたのかもしれません。下町特有のべらんめい調で、荒木は何気なく語ってみせます。「千手観音じゃなくて、いまは阿修羅だね。三面性がある。二面性ではわからない。こっちとこっちの間にある結界から、なんか探っているんじゃないか。」こっち(生)でもなければこっち(死)でもないところからシャッターを切る彼は、もはや「生か死か」という二択ではなく、「生と死」という並列で対等な関係で双方を捉えようとしているのです。だからこそ、「陽子」の存在を一方に結びつけて見ることができなくなったのかもしれません。

生や死とはいったいなにか? という問いはあまりにも哲学的で、その答えは雲をつかむように瞬時に霧散してしまいますが、膨大にあるこれまでの写真、そして、ここからの荒木経惟の試みの中で、私たちがつかみ取るものが、確かにあるように思います。とにかく、写真を見ることにしましょう! 2017年は東京都写真美術館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館と大規模個展が続く予定。荒木経惟の一年に注目です。

シャネル・ネクサス・ホール『東京墓情 荒木経惟 × ギメ東洋美術館 』会場風景 撮影:Yumi AOTA

リシャール・コラス氏(シャネル株式会社 代表)に作品説明をする荒木経惟 撮影:Yumi AOTA

『東京墓情 荒木経惟×ギメ東洋美術館』

開催期間:〜7月23日(日)
開催場所:シャネル・ネクサス・ホール
東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4F
開催時間:12時〜20時
無休
入場料無料
主催:シャネル株式会社
協力:ギメ東洋美術館

タカイシイギャラリー
http://chanelnexushall.jp/program/2017/araki/