モダニスト、シャルロットペリアンが見た日本

  • 写真:尾鷲陽介
  • 文:土田貴宏

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恵比寿のSIGNにて、ジャン・プルーヴェ展とあわせて行われている「シャルロット・ペリアンと日本」展。 会期も残りわずかとなった貴重なエキシビションを、Pen Online でレポートしましょう。

1955年の伝説的な展覧会から

SIGNの「シャルロット・ペリアンと日本」展のメインは、1955年に日本で開催された「芸術の綜合への提案―ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展」をイメージしたスペースです。当時、東京・日本橋の高島屋で行われたこの展覧会で、ペリアンは1940年代に来日した際の経験を活かし、モダニズムと日本的感性をミックスした家具を展示します。たとえば1枚のプライウッドを成形してつくる椅子「オンブル(影)」は、文楽の黒子から着想されたと言われ、後に天童木工から製品化されたこともありました。また「メリベル」という3本脚の素朴な木のスツールは、フランスの田舎の伝統的な搾乳用のスツールをもとにデザインされたもの。その形態が普遍的だからこそ、日本からインスパイアされた他の家具とも違和感がありません。そのほか、ペリアンが友人のために制作した一点ものだという、アフリカンチークを使ったダイニングテーブルなども見逃せません。高島屋の展覧会も、今回のSIGNのエキシビションと同じように、さまざまな家具やアートが住空間を再現するように展示されていました。


上段写真:1955年の「芸術の綜合への提案―ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展」の出品作を中心に構成したスペース。奥の黒い椅子が「オンブル」。

この棚はジャン・プルーヴェのアトリエで制作されたもので、コレクターからの人気も高い。
上の写真、奥の壁に据え付けた棚は、ペリアンがデザインし、親交のあったジャン・プルーヴェの工房で制作されたもの。1950年代のデザインで、当時のペリアンは日本の違い棚から発想した壁付けの棚をさまざまなバリエーションで手がけていました。これはそのうちのひとつで、モンドリアンの抽象絵画のような趣もあります。2枚の無垢材を折り曲げた鉄板でジョイントする、無駄のない構造も特徴。時代を経た素材感が、築50年を経たビルの中にあるSIGNの雰囲気ともよく合っています。
パーティションとしても使用できるキャビネットと照明器具「CP-1」。
こちらも違い棚からインスピレーションを得たもので、1940年代にデザインされた大型のキャビネットです。水平と垂直の直線で構成された、シンプルにしてシンボリックな姿が特徴。壁際に置くこともできますが、こうして空間の中に置くとパーティションとして使えるように考えられています。壁面に取り付けてあるのは「CP-1」という照明器具で、パネルの角度を調整することで、光の表情を簡単に変えられるようになっています。やはりペリアンの代表作のひとつです。

日本との関係を掘り下げる

同時開催中の「ジャン・プルーヴェ」展と同じく、資料が豊富に展示されているのも今回のSIGNの「シャルロット・ペリアンと日本」展の特徴です。上のモデュール式のプラスチックのトレイとワイヤーからなる整理棚システムは、本来はデスクやキャビネットなどに置いて使うもの。壁に取り付けた棚には、1段ごとに多くの資料が並べてあり、自由に手に取って見ることができます。年代物の「NIPPON」「新建築」といった雑誌は、家具が発表された当時の日本の住環境や感性を伝える貴重なもの。ペリアンがどんな時代を背景にこうした家具を発想したか、そしてそれがいかにインパクトを持っていたのかが、こうした資料から浮かび上がってきます。


上段写真:プラスチックのトレイには、1段ごとに貴重な資料が展示されている。

「芸術の綜合への提案―ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展」の図録。当時の社会がモダンな家具を受容していたことがわかる。
上の写真は高島屋の「芸術の綜合への提案―ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展」のために制作された図録で、右は一連の展示品の価格が記載されています。「整理戸棚 580,000円」「テーブル 135,000円」「客用肘掛椅子 26,000円」といった価格からすると、大卒者の初任給が12万円前後だった当時としてはなかなかの高級品だったのがわかります。こうした家具を購入したのは、流行をリードするような文化人や富裕層だったことでしょう。なお三人展が開催された高島屋日本橋店は1933年にオープンし、東京の都市文化を牽引する存在になっていました。その建物は、百貨店としては日本で初めての重要文化財に指定されています。
1941年にペリアンが行った「選択・伝統・創造」展の図録と、彼女が搭乗した船のポストカード。
1940年、日本の商工省は、各地の工芸を産業として発展させるための顧問として、気鋭のデザイナーだったペリアンを招聘します。彼女は1942年まで日本に滞在し、デザイナーの柳宗理らとともに各地を巡って多くのものを吸収していきました。「選択・伝統・創造」は、1941年に彼女が開催した展覧会で、その図録がSIGNで展示されています。来日からの7ヶ月間、彼女はこの展覧会のために東北などの民芸に触れ、ヨーロッパのモダンデザインの考え方をベースに、手仕事の要素を組み合わせていきます。この時には、近年になって復刻が叶った、有名な竹製のシェーズロングなどが発表されました。また右のポストカードは、ペリアンが来日時に搭乗した船が描かれたもの。現在からは想像もできないほど、当時のフランスと日本は遠く隔たっていたのです。今回のSIGNのエキシビションを観ると、その距離を超えてデザインの橋渡しをしたペリアンの功績に、あらためて思いを馳せることになります。

「シャルロット・ペリアンと日本」展
〜3月16日(日)

SIGN
東京都渋谷区広尾3-2-13
TEL:03-3498-7366
営業時間:11時〜18時(18時〜19時はアポイントメントのみ)
休日:水曜
入場無料
www.sign-tokyo.net

同時開催の「ジャン・プルーヴェ」展の記事はこちらから