即興性と激情に満ちた世界を堪能する、原美術館「サイ トゥオンブリー:紙の作品、50年の軌跡」

  • 写真:江森康之
  • 文:青野尚子

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週末の展覧会ノート09:原美術館で開催されている、20世紀を代表する巨匠サイ トゥオンブリー展が話題を呼んでいます。「描画された詩」とも評される絵画にフォーカスした、日本初となる個展を体験してきました。

独自表現を確立した孤高のアーティスト

展覧会のエントランス。
欧風建築様式の邸宅を改修した美術館ならではの、趣がある展示空間。
サイ トゥオンブリーの絵は、ほかの誰の作品にも似ていません。彼が制作を始めた1950年代以降、アメリカのアート界ではジャクソン・ポロックのアクションペインティングやマーク・ロスコのカラーフィールドペインティング、アンディ・ウォーホルらのポップアート、ドナルド・ジャッドらのミニマルアートなどの潮流が生まれていますが、トゥオンブリーはそのどれにも属さない、孤高の道を歩んできました。しかも彼は非常に早い時期に独自の様式を確立し、80年余りの生涯でその表現をひたすら掘り下げてきた作家です。57年からイタリアに拠点を移し、アメリカからは物理的にも遠くなったこともその理由かもしれません。本来、アーティストは孤独なものではあります。でもここまで徹底して、自らの道を追求した作家も珍しいでしょう。
4点とも「Untitled(無題)」1970年 70.5×100cm ワックスクレヨン、ペンキ、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
2点とも「Petals of Fire(炎の花弁)」1989年 144×128cm アクリル絵具、オイルスティック、鉛筆、色鉛筆、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
トゥオンブリーというと上の写真のような、黒地に白い線がランダムに引かれた絵を思い出す人も多いのではないでしょうか。日本の美術館で所蔵しているトゥオンブリー作品はこのタイプが多いのです。でも彼の作風はもっと幅広いものであることが、この個展を見るとわかります。たとえば下の写真の「Petals of Fire(炎の花弁)」と題された絵画は赤と黒の対比が鮮やかな一点。滴り落ちた絵具の跡も鮮烈です。この作品は89年のもの。後期になると、このような色鮮やかな絵が増えてきます。
2点とも「Untitled(無題)」1953年 48×64cm モノタイプ、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
トゥオンブリー作品について、その独自の表現様式を解説する安田さん。
上の作品は「モノタイプ」と呼ばれる版画技法でつくられたもの。ガラスや金属などの板に絵具を塗ったり、線を引いたりして、その上に紙をのせてプレスするという技法で、原則として1枚しか刷れません。
「これは段ボールに釘などで傷をつけ、その上にインクを塗って刷ったもの。版を彫る、刻むといった物理的な抵抗を伴う行為による版画は、鉛筆や筆とは違う線が得られます。トゥオンブリーはそう考えて、モノタイプを手がけたのかもしれません」と安田さんは解説します。

即興性とパッションに満ちた表現様式。

右から「Untitled(無題)」1953年 64×87cm 鉛筆、紙。「Untitled(無題)」1953年 64×87cm 鉛筆、紙。「Untitled(無題)」1954年 48.5×64cm 色鉛筆、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
トゥオンブリーが当初から独自の道を歩んでいたことを示すのが、1954年に鉛筆で描かれた上のドローイングです。このほかに色鉛筆で描いたものもあります。展覧会を企画したサイ トゥオンブリー財団のジュリー・シルヴェスターは、色鉛筆で描かれたこれらの絵画を「美術史上、とてもラディカルな出来事」と評しています。
「同時代のほかの作家たちは、誰もそんなことはしていませんでした。トゥオンブリーは始めから、誰とも違うスタイルをとっていた過激なアーティストだったのです。しかも彼は生涯にわたって、ほかの誰からも影響されることなく、自分の様式を貫きました。ある意味、アウトサイダーとも言える自由さによって、21世紀への扉を開くことができたのです」
右から「Nicola's Irises(ニコラの花菖蒲)」1990年 77.5×56cm アクリル絵具、紙。「Untitled(無題)」1990年 76.5×56cm アクリル絵具、オイルスティック、鉛筆、色鉛筆、紙。「Lili(リーリ)」1990年 78×56cm アクリル絵具、オイルスティック、鉛筆、色鉛筆、紙。「Untitled(無題)」1990年 70.5×56cm アクリル絵具、オイルスティック、鉛筆、色鉛筆、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
「Untitled(無題)」(部分)1990年 76.5×56cm アクリル絵具、オイルスティック、鉛筆、色鉛筆、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
トゥオンブリーの作品を特徴づけているのが、絵に書き込まれた文字です。速い筆致で書かれたような崩した文字が多く、時にまったく判読できないこともあります。書かれている文字は何かを測った数字のようなものや、文章を引用したものなど。下の写真の作品は、ジョン・クロード・ランサムというアメリカ現代詩人の詩を引用したものです。これらのテキストは、線の延長という一面もありますが、見るほうはどうしても「何の意味があるのだろう」と考えてしまいます。この文字についてシルヴェスターは原美術館で開かれたキュレータートークで、「文字を解読することは重要でしょうか?」という質問に、次のように答えていました。
「感じることが一番重要だと思います。引用元が気になったら、調べてみるのもいいですし、線として楽しんでもいいでしょう。文字のなかには意味のないものもあるかもしれませんし、自分自身で本物の絵を見る感動があればそれでいいと思います」
左から「Venus(ウェヌス)」1975年 150×137cm オイルスティック、鉛筆、コラージュ、紙。「Apollo(アポローン)」1975年 150×134cm オイルスティック、鉛筆、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
作風が多彩に変遷する、トゥオンブリーの世界に魅了される青野さん。
こちらはギリシャ・ローマ神話の神々の名前や、神話に登場する動物などの名前が書かれたもの。このように文字だけで構成された作品は少ないのだそうです。
「日本の書道と比べると面白いかもしれません。学校で習う楷書では読みやすいように書きますが、書家は書体を崩して書くので、普通の人には読めない文字になります。こうして、結局は線の問題に行き着くのです」と安田さん。
書き手が意図している、していないにかかわらず、見るほうが文字だと思えば文字に見えてしまうということはあります。描かれた線が何を表しているのか、文字が何を表現しているのか、トゥオンブリーの絵画は見る人のイマジネーションを刺激します。

イマジネーションを刺激する作品世界。

「Untitled(無題)」1959年 85×62cm コラージュ、糊、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
同上(部分)。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
この作品は中期のものですが、「トゥオンブリーとしては例外的な、珍しい作品です」と安田さんは説明します。
「ほかの作品に比べると絵具を塗っているところが少なく、ちぎった紙をコラージュすることで、凹凸のテクスチャーをつくっています。トゥオンブリーは紙だけでなく、キャンバスに描いた作品や彫刻も残していますが、紙ならこういった実験が容易にできます。このように試行錯誤ができる素材として、紙を選んでいたのかもしれませんね」
4点とも「Scenes from an Ideal Marriage(理想的結婚の風景)」1986年 54×73cm アクリル絵具、鉛筆、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
同上(部分)。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
後期になると上の写真のような、色があふれて爆発するような作品が増えていきます。乱舞する色をよく見ると、何かを描いた上に絵具で塗りつぶしたり、絵具を塗ったあとからまた引っかいたりしていることがわかります。また初期の作品でも、ペンキなどを使っていることもあります。手近にある材料を何でも使っていたような印象です。
「デュシャンが既製品の台所用具などを素材にして“レディメイド”の作品をつくったように、20世紀美術の広がりを象徴しています。トゥオンブリー作品では紙の上にレイヤーが積み重ねられているのが特徴ですが、後期では絵具の層自体が作品となっているのです」と安田さん。
左から「HRIH」1982年 100×70cm オイルスティック、鉛筆、色鉛筆、紙。「Untitled(無題)」1982年 100×70cm オイルスティック、鉛筆、色鉛筆、紙。「Untitled(無題)」1982年 100×70cm オイルスティック、鉛筆、色鉛筆、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
左から「Proteus(プロテウス)」1984年 76×76.5cm アクリル絵具、色鉛筆、鉛筆、紙。「Proteus(プロテウス)」1984年 76×76.5cm アクリル絵具、色鉛筆、鉛筆、紙。「Untitled(無題)」1989年 104×75cm アクリル絵具、色鉛筆、コラージュ、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
こちらも晩年の作品です。上は太陽か日の出を描いたもの、下は花の名前がタイトルになっています。でもこれ以外の作品の多くは非常に抽象的で、何か具体的なモチーフがあるとは思えません。
しかしシルヴェスターは、「抽象画って、本当はないんじゃないでしょうか。抽象的に見えても何かを意味している、何かを表しているのでは、と思うのです」と述べています。
そう言われてからあらためて「炎の花弁」を見ると、確かに花びらが散っているようにも見えてきます。
「トゥオンブリーの作品は、彼の絵に書かれた文字と同じように、私たちのイマジネーションを刺激します。描かれたイメージの力はそれほど強いものなのです」と安田さん。
手前の壁2点とも「Untitled(無題)」2001年 124×95cm アクリル絵具、ワックスクレヨン、紙。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
このほかに、風景からインスパイアされたと思われる作品もあります。
「トゥオンブリーは風や波や光を、絵具に置き換えたのだと思います。また光が生み出す自然現象に興味をもち、それが鮮やかな色彩となったのかもしれません」と安田さん。
庭の緑も目に優しい、都心の隠れ家のような原美術館の外観。
この展覧会は2003年に、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館で開かれたもの。その後、パリのポンピドゥーセンター、ロンドンのサーペンタインギャラリー、ニューヨークのホイットニー美術館などを経て、東京の原美術館へと巡回してきました。シルヴェスターは「それぞれの会場の建築設計によって、作品も違う印象になります」と話しています。都心にある欧風建築様式の邸宅を改修した、原美術館での展示はまた格別。貴重なトゥオンブリー作品を特別な場所で味わう、二度とないチャンスです。(青野尚子)
ハラ ミュージアム アークの特別展示室「觀海庵」の内観。©Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation 撮影:木奥惠三
【追記】この原美術館での個展「サイ トゥオンブリー:紙の作品、50年の軌跡」に関連して、群馬県のハラ ミュージアム アークでは特別企画展「サイ トゥオンブリー×東洋の線と空間」が開催されています。同館の磯崎新設計による特別展示室「觀海庵」にて、トゥオンブリー作品と原六郎コレクションの東洋古美術を対置する形で展示する、じつに興味深い試みです。東西の美の出合いを体現したこの特別企画展も、ぜひお見逃しなく。

サイ トゥオンブリー:紙の作品、50年の軌跡
原美術館
住所:東京都品川区北品川4-7-25
会期:~8月30日(日)
休館日:月(7/20は開館)、7/21
開館時間:11時~17時(祝日を除く水曜は20時まで) ※入場は閉館の30分前まで。
入場料:一般¥1,100
TEL:03-3445-0651
http://www.haramuseum.or.jp

サイ トゥオンブリー×東洋の線と空間
ハラ ミュージアム アーク 特別展示室「觀海庵」
住所:群馬県渋川市金井2855-1
会期:~9月2日(水)
休館日:木(8月中は開館)、7/6~17
開館時間:9時30分~16時30分 ※入場は閉館の30分前まで。
入場料:一般¥1,100
TEL:0279-24-6585
http://www.haramuseum.or.jp