「バルテュス展」、少女という“完璧な美の象徴”を描いた巨匠。

  • 写真:江森康之
  • 文:青野尚子

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週末の展覧会ノート 04:日本では過去最大となるバルテュスの個展が、一昨年リニューアルを遂げた上野の東京都美術館で開催中です。

バルテュスはピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家。ポーランド貴族の末裔として画家・評論家の両親のもと、1908年にパリで生まれました。1961年、ローマにあるヴィラ・メディチのアカデミー・ド・フランス館長に任命され、日本古美術の調査のため来日。そこで出会った出田節子さんと結婚します。その後スイスの山荘「グラン・シャレ」に居を構え、2001年に没するまで制作を続けました。

まだ手つかずで純粋なもの

『夢見るテレーズ』(1938年、150×130cm、メトロポリタン美術館)
バルテュスといえば少女のモチーフが有名です。
上の『夢見るテレーズ』のモデルはバルテュスが最初に描いた少女モデル、テレーズ・ブランシャール。失業者の娘でした。下の『美しい日々』の少女は鏡を見つめていますが、テレーズは目を閉じています。ですが、無防備に広げた足の間から下着が見えて、扇情的です。
「背景の壁紙の縦線と頭にのせた少女の腕、そして猫の体が作る横のラインとが格子状に交差する、幾何学的な秩序のある絵です」と小林さんはいいます。感覚的にも見えますが、画面構成は緻密に計算されているのです。
少女の膝や腕の引き締まった感じと、服の布の質感との違いにも注目してください。つるっとした肌と、ざらっとした感じの服とがていねいに描き分けられています。
右:『美しい日々』(1944-46年、148×199cm、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭)
『美しい日々』は、手鏡に映る自分の姿にうっとりしているような少女の絵です。右には暖炉に薪をくべる男性が、左のテーブルの上には白い水盤があります。
「燃える薪と男性は欲望を表し、白い水盤は純潔の象徴とも言われています。手鏡もバルテュスがよく描いたモチーフでした。一般にはヴァニタス(虚栄)を意味すると言われていますが、バルテュスの絵にはそういった教訓が込められているわけではないようです。バルテュスは絵に鏡を描き込むだけでなく、自分の絵を鏡に映して見るといったこともしていました。自身の作品を客観的に見るだけでなく、逆さまの世界に新しいヴィジョンを見ていたのです」と小林さん。
子どものころは鏡なんてろくに見ないけれど、10代になると他人から見て自分はどのような姿に見えるのかが気になりだします。『美しい日々』も他者の視線を意識しながらそれに気づかないふりをしているようで、見ていてどきどきする絵です。
『決して来ない時』(1949年、97.7×84.4cm、フランシス・リーマン・レーブ・アート・センター)
上の『決して来ない時』では、椅子に浅く腰掛けて片足を投げ出し、上半身を反り返らせるような不自然なポーズをとる少女が描かれています。バルテュスはこんなポーズを繰り返し描いていて、会場でもこれとよく似た構図の『猫と裸婦』が展示されています。モデルはどちらもバタイユの娘、ローランスです。
バルテュスは、なぜ少女を描き続けるのかについて、「それがまだ手つかずで純粋なものだから」と答えています。また初期には、画家として注目を集めるための野心の現れとも考えられてきました。小林さんは「子どもと大人の間にいる、移ろいやすい状態の危うさに惹かれたのでしょう」と言います。
横たわる裸婦のポーズはティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』など、ルネサンス期から繰り返し描かれてきた古典的なモチーフです。バルテュスのこの2枚もニコラ・プッサンの『眠るビーナス』のビーナスを想起させます。他にもバルテュスの描く横たわる少女の絵には“元ネタ”がある場合があります。
「“元ネタ”はギリシャ神話などを題材にしていることが多いのですが、バルテュスはこれらの古典からポーズや構図だけを引用しています。画面は伝統的、古典的な“型”に則って構成されていますが、バルテュスの絵には少女の不安定さが表現されている。神話ではなく日常的な光景を描いた、現代的な絵画なのです」
『読書するカティア』(1968-76年、179×211cm、個人蔵)
彼が描いた少女には複数のモデルがいますが、上の『読書するカティア』のモデルはヴィラ・メディチの料理人の娘。背景はヴィラ・メディチの室内です。ひび割れのある壁もていねいに再現されています。近づいてよく見ると、壁のところは表面がざらざらしているのがわかります。その中で、ひび割れだけは赤く、ほんのちょっと艶めいて見えます。
「バルテュスは油絵の艶があまり好きではなく、ルネサンス時代の壁画のややざらっとした質感を再現したいと考えていました。この絵もカゼインとテンペラという、動物性のたんぱく質や卵を媒材として顔料を定着させる古典的な技法を使っています」と小林さん。
少女が読んでいるのはバルテュスがお気に入りだったという人気漫画「タンタンの冒険」シリーズ。好きな理由は「フランス語がきれいだから」とのこと。少年時代、母を通じて詩人リルケと知り合い、長じてからもバタイユらと交流のあったバルテュスは言葉にも美を求めていました。

芳醇な画家人生を過ごしたアトリエも再現。

左から『聖木の礼拝』(1926年、68×72.5cm、ライオンズクラブ財団)、『十字架の発見と検証』(1926年、44×66cm、オルセー美術館[グラネ美術館寄託])いずれもピエロ・デッラ・フランチェスカ〈聖十字架伝〉にもとづく
バルテュスは10代の終わりにイタリアのアレッツォなどを訪れ、ルネサンスの大家ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵の模写をしています。
「ピエロ・デッラ・フランチェスカはバルテュスが亡くなるまで敬愛し続けた画家の1人でした」と小林さん。
しかしバルテュスの模写をよく見ると、粗いタッチでざっざっと描かれているのがわかります。ていねいに塗られた元の絵とはずいぶん違う感じです。
「バルテュスはピエロ・デッラ・フランチェスカの幾何学的な構図や、壁画の質感に引かれていたんです」
前ページの少女の絵と同じように、聖書のワンシーンを描いたピエロ・デッラ・フランチェスカから影響を受けてはいても、バルテュス自身は聖書の物語をモチーフにしてはいません。バルテュスが描こうとしていたのはあくまでも現代の風景なのです。
展覧会のために、細部まで再現されたバルテュスのアトリエ。担当学芸員の小林明子さんと。
会場ではスイス・ロシニェールのアトリエも再現されています。椅子、絵の具、描きかけの絵などは実際にバルテュスが使っていたものを運んできました。バルテュスは毎日、日があるうちは規則正しくここに“通勤”していたようです。
「夫人の節子さんは『アトリエはなかなか他人を入れなかった、バルテュスにとって神聖な場所。そこからいろいろなものを持ち出すのは勇気がいりました』とおっしゃっていました。今回、再現したアトリエでは窓の外にも注目してください。実際の景色が見られるだけでなく、日の出から日没まで空の色が変わっていくところも再現しています。絵を描くときは決して人工照明を使わず、自然光だけで描いていた彼の手元を想像してみてください」
『地中海の猫』(1949年、127×185cm、個人蔵)
「バルテュスは気まぐれで神秘的な猫に特別な感情を抱いていました。自分が猫に似ているとも感じていたようです」と小林さん。そのため、猫も少女と同様に繰り返し彼の絵に表れます。この絵では、その猫が主人公です。
猫がいまにもかぶりつこうとしている魚は海から虹の軌跡を描いて皿に飛び込んできたもの。まさに産地直送というわけです。ボートに乗っている少女はローランス・バタイユがモデル。海辺のレストランで食事をしていたとき、大人たちの会話に退屈したローランスがボートで海に遊びに行ったことからインスピレーションを得ています。
この絵はパリのシーフード・レストランの依頼で、店内に飾るために描いたもの。バルテュスにしては珍しい絵です。今回の個展では、中央の伊勢海老だけを取り出して描いた別の絵も展示されています。歌川広重の浮世絵に伊勢海老を描いたものがあり、その絵ともよく似ています。

日本画や中国画の要素を、独自の方法でブレンド

左から『モンテカルヴェッロの風景(II)』(1994-95年、162×130cm、バルテュス財団)、『トランプ遊びをする人々』(1966-73年、203×240cm、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館)
上の写真、右の作品では、2人の人物がテーブルをはさんでトランプ遊びをしています。でも2人ともこちらを向いているし、左の人物は椅子に膝をつくという行儀の悪い姿勢です。
「膝をつくポーズはバルテュスが若い頃から描いていたものですね。正面向きの顔は歌舞伎で見得を切るポーズから影響を受けたものでは、と言われています」と小林さん。
この絵には中央にもう1人、合計3人の人物が描かれていましたが、中央の人物は消えてしまい、替わりに椅子が描かれました。
「バルテュスはこの絵に7年かけています。彼はひとつの絵にじっくり時間をかけて取り組むタイプでした」
左にある『モンテカルヴェッロの風景(II)』はバルテュスがイタリアのモンテカルヴェッロで購入した古城からの風景を描いたもの。中国・北宋を代表する山水画家、郭煕(かくき)が確立した「三遠」の要素を踏まえたものとも言われています。「三遠」とは下から上方の峰を仰ぎ見る「高遠」、渓谷の奥を俯瞰する「深遠」、近い山から遠い山を望む「平遠」の3つの遠近法のことです。彼は幼少時から中国の美術にも親しんでいました。展覧会にも子供のころ、自宅のタンスに中国の山水画ふうの絵を描いたものが展示されています。博物館で見た山水画を参考にしたようです。
『朱色の机と日本の女』(1967-76年、145×192cm、ブレント・R・ハリス・コレクション)
上は、節子夫人をモデルにした後期の作品です。明らかに日本画の影響が見て取れる作品です。バルテュスはいつも絵を描く前に多くのスケッチをしていましたが、この絵の下絵の中には「浮世絵」という文字が描き込まれたものもあります。
「全体に平面的な表現や陰影のない人体、逆遠近法を使った敷物や赤い机の描き方などは日本風です。でも質感はフレスコ画のようなヨーロッパ的なものです」
バルテュスの絵にはたくさんの要素が、彼にしかできない方法でブレンドされているのです。
篠山紀信が撮った、生前のバルテュス。
展覧会の最後には、生前のバルテュスを篠山紀信が撮影した写真が並びます。展示ケースには読み込んでぼろぼろになった辞書やタンタンの絵本、愛用の灰皿、靴、日本から贈られた羽織などが。勝新太郎に贈った画集などもあります。出会ったときは洋装だった節子夫人に着物で過ごすように言ったほど、バルテュスは日本文化に傾倒していました。
バルテュスの絵には静けさがありながら、一方で心をかき乱す何かがあります。古典的な女性のポーズなどの“型”を借用しながらも、描かれている主題はとても現代的です。また、バルテュスの絵は構図や主題もさることながら、独特の凹凸のある絵肌は写真だけではわかりにくいもの。その絵肌はあまりに繊細で保存が難しく、これだけの数の作品が展示されること自体が奇跡的とも言えます。素描やあまり知られていない初期の作品なども含めて、ぜひ会場でじっくり見たいものです。