最高峰の時計づくりを体感する。

  • 写真:ジャンニ・プレッシャ
  • 文:河内秀子

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ドイツ、ドレスデン近郊の地で最高峰の腕時計をつくりだすA.ランゲ&ゾーネ。時計づくりの一端を体験する「ランゲ・アカデミー」が行われ、各国から選ばれたジャーナリストが参加しました。

グラスヒュッテ。
ザクセン王国の首都、華やかな芸術の街として栄えた東部ドイツの古都ドレスデンから南に30km。チェコとの国境にほど近いエルツの山間の小さな町は、1845年にアドルフ・ランゲが移住して時計工房を始めてから、精巧な機械式時計の聖地として世界中にその名前を知られるようになりました。
今回「ランゲ・アカデミー」が開催されたのは、 グラスヒュッテからさらに奥まった場所にある時計づくり学校。未来のランゲを支えるという高い志と、未知の才能を秘めた若者たちが3年半の修行を積むこの場所は、見渡す限りの緑に囲まれています。サファイヤブルーに酸化加工したピンの頭ほどの小さなビス、ゴールドのシャトン。そっと吐いた息にも吹き飛んでしまいそうな極小のパーツを扱う繊細で緻密な作業には、高い集中力と根気が必要です。もどかしさに焦れても、窓の外に目を向ければ深く静かな緑に心がすーっと落ち着いていきます。そう、ここはまさに修行の場。
「制作工程を見学するだけでなく、実際に体験することで、ランゲの哲学や技術を肌で感じてもらえれば」と8年前に始まったこの「アカデミー」。通常はリテイラーのスタッフらが、時計の仕上げや技術的なディティールを学んでいます。今回はテンプ受けに施されている「エングレービング」、そして「2度組み」に挑戦させてもらいました。

気の遠くなるような、精緻な作業。

華美な装飾は存在しない、ランゲの時計。全てのディティールに意味があるからこそ、ランゲではどんなに小さなパーツでもひとつひとつ手作業で仕上げを施していきます。
さらに、すべてを1度組み上げて精度を確認し、調整をしてからもう一度分解し、パーツを磨き、装飾を施して再び組み上げるという「2度組み」は、ランゲならではの作業工程。「組む」という文面では簡単そうな作業は、実際やってみると気の遠くなるような集中力と経験を必要とするものでした。選りすぐりの職人の中ですら、たった5人しかできるマイスターがいない「エングレービング」にいたっては、説明するまでもないことでしょう。
「もう、ダメだ!」集中が切れ、部屋を飛び出していってしまった人がいました。
ジャーマンシルバー製の4分の3プレートと呼ばれる地板にはめ込まれたビスやシャトンを外し、磨いてから止め直すという作業。3種類のやすりの上で8の字を描くように磨いていくのですが、磨いても磨いても指導教官からOKをもらえません。そもそも表面の傷を見つけられるようになるまでに、2か月以上の経験が必要なのだそう。やっと許可をもらって1mmほどのビスを入れようとした瞬間、ドライバーが滑って表面に傷が……。部屋を飛び出したくなる気持ちもわかります。
エングレービングのワークショップでは、通常ランゲの時計に使われている素材より柔らかい真鍮プレートにあらかじめ彫られた「LANGE」の文字の面取りを試みました。ビュランの刃が45度の角度になるよう、ルーペを覗きながら慎重に作業を進めるのですが、力の入れ具合が難しくLANGEの文字はどんどんとやせ細っていきます。
画一的な作業ですらこの有様。ランゲのムーブメントに華やかな輝きを添える、生き生きとした流線のエングレービング。小指の爪ほどの大きさのプレートに職人ひとりひとりがどれだけの情熱を注ぎ込んでいることか!この思いこそが、ランゲのクオリティを支えているのです。
もう、これは「愛」。ランゲの時計に魅せられ、16歳の時からランゲの職人として働いているという指導教官の厳しい眼差しからも、その「愛」が実感できました。

世界最古の科学コレクション。

今年4月、世界最古の科学コレクションのひとつに数えられる「数学物理サロン」がランゲのサポートにより6年間の改装を経て、リニューアルオープンを迎えました。1728年、アウグスト強王によりザクセン王国の「知識の宝物殿」として創立されたコレクションの中には、当時の技と美の粋を集結した精巧かつ豪奢な機械仕掛けの時計がずらり。時計好きにはたまりません。A.ランゲ&ゾーネの逸品も展示され、その創立から現在にいたるまでの歴史を垣間みることができます。
アドルフ・ランゲが少年時代を過ごし、ザクセン王国の宮廷時計師フリードリッヒ・グートケスに才能を見いだされて時計作りの技術を学んだ地、ドレスデン。マイセン陶磁器の創立など美の技術になみなみならぬ情熱を注いだアウグスト強王が築いた美しい街並みは、ザクセン王国の栄華を彷彿とさせます。数学物理サロンがあるツヴィンガー宮殿も、この時代につくられたもの。サロンには、アドルフ・ランゲが師グートケースとともに手がけた歌劇場の5分時計の模型や、永久カレンダーやスプリットセコンドクロノグラフなどが盛り込まれたその名前の通りランゲ史上「最も複雑な」時計、1902年に作られた懐中時計「グランド・コンプリケーション」などが。1867年作の懐中時計にすでに4分の3プレートが用いられていたりと、アドルフ・ランゲの革新的なアイデアと技術改良のための熱意が見て取れます。
展示ケースの最後にあるのは「ランゲ1」。これだけが現在の時計です。第2次世界大戦後ドイツは東西に分断され、旧東ドイツにあったランゲは国有化されてしまいました。しかし1990年、ドイツが悲願の再統一を成した年にランゲも復興。1994年に発表された復活第一号コレクションがこの「ランゲ1」だったのです。

戦火を受け瓦礫の山と化したドレスデン市が、再びその美しさを取り戻した数学物理サロンにこの「ランゲ1」をどうしても展示したかったという思い。伝統の5分時計を原型としたディティールを盛り込みながらも斬新なデザインは、21世紀となったいまも愛を込めてこの地で作られ、世界中で時を刻み続けていくのです。

問い合わせ先/A.ランゲ&ゾーネ TEL:03-3288-6639