【グランドセイコー、未来へ紡ぐ10の物語】Vol.3 機械式で挑んだ、「V.F.A.」という高精度の軌跡。

  • 写真:宇田川 淳
  • 文:篠田哲生

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日本が世界に誇る最高級の腕時計ブランド「グランドセイコー」。1960年の誕生から現在に至るまで、腕時計の夢を叶えようと挑戦を続けてきた物語を紹介します。

1960年、スイスの最高級品に挑戦する国産の最高級品として、正確で見やすく美しい腕時計を目指して誕生した「グランドセイコー」。グローバルブランドとしてさらなる飛躍を目指す今年、誕生から今日にいたるまで様々な困難に立ち向かい、腕時計の夢を叶えようと挑戦を続けてきたその物語を、全10話の連載記事でご紹介します。

第3回のテーマは「精度」。腕時計の価値の根幹となるこの命題に、グランドセイコーはいかに挑んだのでしょうか。また、そこから生まれた腕時計はいかなるものであったのか。その物語をひも解きます。

次々と生み出された、高精度な機械式腕時計。

1969年に誕生した第二精工舎製の「V.F.A.」モデルには、手巻式のCal.4580が搭載されていた。文字板の12時位置には「GRAND SEIKO」のロゴが配されてた。高精度機械式腕時計の限界へと挑んだ技術者の信念が詰まった傑作だ。

機械式腕時計において重要な価値基準となるのが“精度”です。1960年代半ばのグランドセイコーの精度基準は平均日差が-3~+6秒、これは一日(86,400秒)と照らし合わせると、1/10000以下の誤差しか生じていないということ。精度が高い時計とは、設計が優れ、パーツの製造レベルが高く、組み立ても調整もほぼ完璧ということになります。時計メーカーはそれを証明するためにスイスの天文台が主催する精度コンクールに参加して技術力を競い合いました。セイコーは1964年から機械腕クロノメーター部門に参加していましたが、諏訪精工舎と第二精工舎がそれぞれにムーブメントを開発し、スイス勢と激しい勝負を展開していました。

コンクール用のムーブメントは市販品とは異なり、素材も設計も特別仕様。ひたすら高精度を目指していました。その根幹となる技術のひとつは、ムーブメントの高振動化。振動数が高いほど外部からの影響を受けにくくなるので、精度を高いまま保つことができるのです。当時のグランドセイコーは5~5.5振動でしたが、コンクール時計は主に10振動ムーブメントで勝負していました。

天文台の精度コンクール用に出品した腕時計を市販するということはありませんが、セイコーではコンクールで培った高振動・高精度のノウハウを市販モデルに取り入れることを決めました。しかし実現は容易ではありません。通常のムーブメントよりもハイスピードでパーツを動かすということは、トルクの強いぜんまいが必要となります。さらに高性能な潤滑油も必須で、パーツにも高いレベルの加工精度を求められます。これを市販モデルとして作ることは、大きな挑戦だったのです。

しかしなぜセイコーは、そのような困難な道を選んだのでしょうか?
実は1968年に開催されたジュネーブ天文台の精度コンクールで腕クロノメーター部門の上位を占めたのは、CEH(スイス電子時計センター)が作ったクオーツ式ムーブメントでした。機械式での最高位はセイコーが獲得しましたが、高精度技術の主流は既にクオーツ式へとシフトしており、セイコーでも1959年から諏訪精工舎においてクオーツ式腕時計の開発計画が進行していました。世界中の腕時計メーカーはクオーツ式ムーブメントが次世代の標準技術になることを見抜いていたのです。

遅かれ早かれ、高精度を旨とする機械式グランドセイコーの役目が終わってしまう。そこで、いわば最後の晴れ舞台として用意されたのが、究極の高精度機械式腕時計「V.F.A.」だったのです。

「ニューシャテル天文台クロノメーター」コンクールと検定

1967年 ニューシャテル天文台 クロノメーターコンクール キャリバー052

第二精工舎が1966年と1967年のスイス・ニューシャテル天文台クロノメーターコンクールにて使用したCal.052。飛行機での移動中にひげぜんまいが磁化しないように、パーマロイ製の耐磁ケースを使用しました。ブリッジ形のてんぷ受にも特徴があります。

1969年 ニューシャテル天文台 クロノメーター検定合格品

スイス・ニューシャテル天文台で行われたクロノメーター検定に合格した「天文台クロノメーター検定合格品」。1968年にニューシャテル天文台に提出して合格証明書を得た73個が、1969年に発売されました。

(写真は個人所蔵品。ケースと同じ仕上げの18Kメタルバンドは別作。)

市販モデルとしての実用時計で、高精度ハイビートを実現。

1968年 61GS

自動巻式の10振動ムーブメントCal.6145は、天文台コンクールで培った技術の市販化を目指していた諏訪精工舎が製造しました。1968年初めに発売したこのモデルは、3時位置にカレンダーが入り、実用性を重視した設計になっています。

1968年 45GS

手巻式の10振動ムーブメントCal.4520を搭載した45GSは第二精工舎が製造し、1968年に発売されました。日付つきのCal.4522を搭載したモデルは瞬間日送り機構も備えていました。

※本ページに掲載している時計の写真は、一部、発売時の仕様とは異なるものがあります。

特別調整品「V.F.A.」の発売。

「V.F.A.」とは「Very Fine Adjusted」の略です。その特徴は、超高精度であること。クロノメーター検定よりもはるかに高い精度を実現。精度検査も6姿勢で行われました。当時のGS検定では平均日差を-3~+5秒に設定していましたが、V.F.A.ではなんと機械式腕時計では前例のない「月差-1分~+1分」を実現しました。搭載するムーブメントは、グランドセイコー用のCal.6185、6186(自動巻)とCal.4580(手巻)を使用。極めて厳格な精度規格と品質管理のもとに、特に選ばれた専門の技能者が高度な技術に裏づけられながら入念な組立・調整を行い、最高精度を目指したのです。

しかし、時代の流れは既に変わり始めていました。当時のセイコーにおける機械式腕時計のトップセラーのひとつは1963年に誕生した「セイコー スポーツマチック 5」であり、これは通常のグランドセイコーの1/3以下の価格でした。“高精度”は技術の高さをアピールできますが高価になってしまいます。1968年当時、国家公務員の初任給が2万5000円程度だったときに、自動巻の61GSは3万7000円~4万円であり、市場を大きく拡大することは難しかったのです。しかもクオーツ式腕時計の開発が急ピッチで進められており、もはやグランドセイコーも時代の変化を感じざるを得なくなりつつありました。

けれどもその逆風が技術者の気持ちを鼓舞したのでしょう。コンクール時計の技術を活用して生まれた超高精度腕時計V.F.A.は、1969年に発売されます。1960年に誕生したグランドセイコーは、わずか9年という短期間で、高精度機械式腕時計の最高峰へとたどり着いたのでした。

しかし、運命とは皮肉なものです。V.F.A.発売と同年に、世界初のクオーツ式腕時計「セイコー クオーツ アストロン」が発売され、機械式腕時計で高精度を目指すという目的自体が、揺らぎ始めるのでした。


V.F.A.規格の機械式腕時計が次々と誕生。

1969年 61GS V.F.A.

1969年に発売されたV.F.A.モデル。ケースやブレスレットにパラジウム合金を用いた希少なモデル。超高精度をデザインでも表現しました。

1972年 61GS V.F.A.

1972年発売デイデイト式V.F.A.。1969年初出のV.F.A.モデルの文字板にはV.F.A.表示がありませんでしたが、1970年代には表示されています。

1972年 19GS V.F.A.

女性用のV.F.A.モデル。男性用よりも小型の女性用モデルで超高精度を実現するためには多くの課題のクリアが必要でした。

1970年 61GS スペシャル

V.F.A.に次ぐ高精度の61GS「スペシャル」。平均日差は-3~+3秒。ムーブメントは自動巻のCal.6155とCal.6156を搭載した。

※V.F.A.規格(GS 4A級)は、上記を上回る「月差-1分~+1分」という機械式時計究極の高精度を規定していた。

組み上がったムーブメントは2週間以上かけて精度チェックが行われます。セイコーでは精度によってムーブメントを等級分けしており、1970年当時でも、GS 2A級(通常のグランドセイコー)に合格するためには平均日差を−3~+5秒に収めなくてはなりませんでした。さらに特別調整を施して精度を高めたものが、上位機種に搭載されました。

1969年に誕生した、記念碑的クオーツ腕時計。

クオーツ式腕時計の開発は1950年代からスタート。いくつかのブランドが試作品を発表していましたが、世界でもっとも早く市販モデルを発売したのがセイコーでした。1969年12月25日に発売された「セイコー クオーツ アストロン」は、時計史を塗り替えるマイルストーンです。

※本ページに掲載している時計の写真は、一部、発売時の仕様とは異なるものがあります。

現代に甦る、高精度機械式腕時計。

コンクールで培った技術を活用した10振動のハイビートムーブメントのDNAは、現代へと受け継がれています。限られたぜんまいのトルクで効率よくパーツを動かすために、セイコーでは半導体の製造技術を応用したMEMSという極小パーツの製造技術を利用しました。アンクルやがんぎ車などの根幹パーツに肉抜き加工や保油構造を取り入れることで、ハイビートムーブメントの実用化に成功したのです。

実は腕時計業界で10振動ムーブメントを採用しているのは、グランドセイコーを含めてごくわずかです。グランドセイコーはハイレベルな腕時計製造技術をもっているだけでなく、V.F.A.が築いた超高精度への追求という精神を受け継いでいるのです。

ちなみに6時位置に入る「SPECIAL」とは、1970年代にV.F.A.と通常のGSクラスの間に存在していた等級「GS SPECIAL」へのオマージュを込めたもので、グランドセイコースペシャル規格検定に合格したことの証明。ケースバックから見えるCal.9S85の回転錘には、金獅子のメダルが入り、特別モデルであることを主張しています。

Grand Seiko SBGH219

10振動のCal.9S85に対して徹底的な調整を施すことで、さらなる高精度(平均日差は-2~+4秒)を実現させた“SPECIAL”なモデル。高精度へのこだわりと技術者の努力に応えるため、ケース素材には貴金属を使用し、ストラップはクロコダイル製という特別仕様です。自動巻、18Kホワイトゴールドケース、ケース径38.0mm、マスターショップ限定モデル、2,550,000円+税

※ 価格は2017年4月現在のメーカー希望小売価格(税抜き)を表示しています。