記憶に遺したい、高架下のこだわり店。

  • 写真:平岩 享
  • 文:小暮昌弘

Share:

デスティネーション ショップ 06:ファッション界のレジェンドが思いを込めた「Porter Classic 銀座」。

JR新橋駅と有楽町駅の間の高架下にある「インターナショナルアーケード」。近くにある泰明小学校も「昭和」の薫りが残された場所です。

東京のJR新橋駅と有楽町駅の間の高架下に、「インターナショナルアーケード」という「昭和」の匂いをもった不思議な場所があります。このアーケード自体は、1964年、東京オリンピックの頃に海外から訪れる外国人観光客をターゲットにつくられたものだそうです。歴史的ともいえるこの場所に旗艦店を構えているブランドが、「Porter Classsic」です。

「Porter Classic」は日本のバッグブランドとして抜群の知名度を誇る「ポーター」で長くチーフデザイナーを務めていた吉田克幸さんが自分の仕事の集大成とするべく、2007年に独立し設立したブランドです。実はこのショップは、建物の耐震工事の影響で、2015年10月末には移転を余儀なくされると聞きます。この店に対するこだわり、モノづくりへの思いを、日本のファッション界のレジェンドともいえるこのブランドのデザイナー、吉田克幸さんにお聞きしました。

“昭和”を色濃く残す、「インターナショナルアーケード」

外国人観光客で賑わったアーケードも耐震工事のためにほとんどの店が移転。「Porter Classic 銀座」以外にも、数店がまだ営業しています。

銀座4丁目付近の目抜き通りは、いまやラグジュアリーブランドのショップが軒を連ね、道行く人は日本人よりも外国人のほうが多いのではと思えるほど国際的な街になりました。「インターナショナルアーケード」は、そんな新しい銀座とは異なり、いってみれば「昭和」を色濃く残す場所です。「Porter Classic」のデザイナー、吉田克幸さんは旗艦店をつくる時にこの場所を選んだのは、運命的な出会いがあったからと語ります。

「1960年代、私は高校生でしたが、(その頃の)ファッション、音楽、映画は圧倒的に銀座が中心でした。いま、銀座はどんどん新しいビルができて、そんな60年代が残っている場所が少なくなってしまいました。(ポーターから)独立して、もう一度ゼロからモノづくりを始めようとこのブランドをスタートしました。できれば小さくてもいいから銀座に店をもちたいと、時間があると日本橋から新橋まで、自分が育った60年代を求めて、碁盤の目をつぶすように周辺を歩き回りました。父が戦地に出征する前、神田須田町のガード下の倉庫に革や反物などの資材を仕舞い込んでいたのを思い出し、有楽町に来てみたら、この場所を見つけたんです。キザな言い方ですが、“神は見捨てなかった”と思いましたね。ここしかないと一瞬で決断しました。ここで、ちっちゃな、ちっちゃな文化をつくろうと思ったのです」

モールスキンのベレー帽を被った吉田克幸さん。服は吉田さん自身が着たいものをつくっているのではと尋ねると、「でないとお客さんに失礼なんじゃないかと思います」と吉田さん。

吉田克幸さんは、1980年代初頭、日本人として初めて「ニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブ」といわれるアメリカの展示会に参加しました。展示会を訪れたあのヘンリー・ベンデルが、吉田さんのつくったバッグを見て「お前、成功するよ」と言ってくれたそうです。そんな数々の伝説をもつ吉田さんですが、「Porter Classic」では、バッグだけでなく、ウエア類や靴など、多彩なアイテムをデザインしています。デザインの根底に流れているのは、流行にとらわれることなく、永く愛されるもの、次世代に受け継がれていくようなスタンダードなモノづくりを追求することにあります。

「流行とか、ファッションというものは、僕には無縁のものです。次の世代に受け継がれていくもの、たとえばリペアしても持ち続けたいと思えるモノをつくりたいと思っています。だからウチには“お針子さん”がいるんです。7年間かけて10人育てました。破れたりしたら、ちょっと修理して次の世代の人に着てもらう。ウエアだけでなく、バッグなどもそんな気持ちでつくっています。僕はブランドというのは嫌いな言葉なんですよ。モノより、着る人そのものがブランドだと思いますね」

「Porter Classic」のモノづくりのコンセプトをこう話す吉田克幸さん。吉田さんがもうひとつ大事にしているのが「メイド・イン・ジャパン」のモノづくりです。それは「お客さま、モノをつくる人、材料を考えてくれる人、そういう人たちを一緒にやらなければいいモノはできない」と亡くなる直前まで語っていた吉田さんの父、吉藏さんの教えによるものです。吉田さんが目指すモノづくりに、日本の職人の熟練した技術は欠かせません。だから一緒にモノをつくってくれる職人さんに最大の敬意を払い、次世代の職人の育成にも心血を注ぐのです。

「僕も死ぬまでずっと勉強させてもらっているようなものですから。その技術、素材、いろいろな資料などもみんな遺してあげたいんです。次の世代を育て、くたばる(笑)。それが僕の務めかもと、最近思っているんです」

「Porter Classsic 銀座」の看板にも「インターナショナルアーケード」も文字が。やはりこの場所に対する思いは強いようです。
木をふんだんに使ったショップのインテリア。アートや古いおもちゃなどと一緒に、ウエアや小物などが並びます。1階はウエアをメインとしたフロア。
1階の店内。ウエアを中心としたフロア。「Porter Classic」のウエア類は、スタンダードで、手づくり感の残るデザインが特徴といえます。

「ポータークラシック 銀座」は、そんなデザイナーの吉田克幸さんの世界を具現化したショップといえます。木をふんだんに使い、手づくり感を残したインテリアは、いたるところに吉田さんの息づかいを感じます。アーケード前のベンチは、サーフボードを模したベンチが置かれています。吉田さんの好きなハワイの古い街にあるショップのような雰囲気も漂わせています。吉田さんの息子さんで、このブランドのディレクターでもある玲雄(れお)さんは、ハワイを舞台にしたエッセイ『ホノカアボーイ』も書いています。2009年に岡田将生主演で映画にもなりました。

余談ですが、ミュージシャンのエリック・クラプトンは吉田さんの古くからの友人です。来日した時に、この店をわざわざ訪ねてくれたそうですが、「日本に初めて来た時に、このアーケードに来たんだ」とこの場所を懐かしんでくれたそうです。吉田さんは「世界各地の友達が無形の財産ですよね」と笑って話します。

屋根裏のような2階、隣の「PAWN SHOP」も見逃せない。

屋根裏部屋のような2階。バッグを中心とした商品構成。床にはエアコン用のダクトや天井用の梁などがまだ残っています。
「一針入魂」といつもモノづくりを教えてくれた、吉田克幸さんの父吉藏さんの名を冠した「KICHIZO」ブランドのバッグなどが並びます。

アーケードの中にありますので、「Porter Classic 銀座」は小さな店に見えますが、2つのフロアをもっています。1階は、洋服やバッグ、靴などの小物を中心にしたフロアで、2階が吉田克幸さんの父、吉藏さんの名を冠した「KICHIZO by Porter Classic」のバッグなどが並んだフロアです。

「店をつくる時に、こういう雰囲気のものをと自分でイメージしてデザインしたのですが、2階は、木の板が張ってあって、もちろんハシゴもなかったんです。みんなで壊し始めたら、あの屋根裏みたいなところを発見したんです」

2階を発見した時の様子を語る吉田さん。2階に上っていくにはスチール製のハシゴで。このハシゴも特製でつくったそうです。2階はエアコン用の太いダクトがそのまま残されていますが、その粗野な感じもこの店のテイストに合っているような気がします。吉田さんがおっしゃるように家の屋根裏部屋に忍びこんでいくような感じがし、宝物探しをしているような気分が味わえます

「バッグは、気持ちよく使えて、出し入れしやすく、安全。優しいデザイン。それだけに絞ってデザインしています。だから誰にでも使いやすい。高齢の方でも、子どもさんでも使いやすくできています。ウチではリペアや加工もやっています。こういう感じでつくりましょうか、と薦めるとお客さんはすごく喜んでくれます。昔、老舗というのは、必ず修理もやってくれたものです。いろいろとつくるのではなく、本当にいいものだけに絞って提供し、使うことを喜んでもらいたいんです」

店に並んだものを見ながらこの店をつくったきっかけを話す吉田さん。店に売られているものは、すべて吉田さんの思い出の品々。
ガラスケースの中には、鈍い光を放つナイフなどが並んでいます。「前はもっとたくさんあったんだけど。最後はペンなんか、僕が売ろうかな」と吉田さん。

「Porter Classic 銀座」と一緒にぜひ立ち寄っていただきたいのが、隣の「PAWN SHOP」です。「PAWN SHOP」とは「質店」のことです。店のつくりも、並んでいるものも、外国に昔からある小さなショップのようなヴィンテージな雰囲気を漂わせます。商品は世界中を旅した吉田さんが自ら集めてきたもので、並んでいるものはすべて売りものです。平日の夕方には吉田さんが店にいることもあると聞きます。

「1969年頃かな。アップタウンからダウンタウンまで、ニューヨークの街を足に血豆をつくりながら歩き回りました。そんな時に見つけた質屋さんを覗いたら、ボロボロのサキソフォーンがあったんです。おそらくジャズミュージシャンあたりが、お金に困って質入れしたんでしょう。いつかあんな店をやりたいと息子に言ったら、イイよと言われ、この店を始めることにしたんです」

「PAWN SHOP」のほかにも、数軒先に、「Gallery Porter Classic」まで吉田さんはつくりました。毎月テーマを変えて様々な展示、販売を行うスペースです。取材時は、サインペインターのパイオニアとして知られる「NUTS ART WORKS」の作品展を開催していました。青森県に生まれ、独学でペイントを学んだアーティストで、ラルフ ローレンやネイバーフッドなどの店舗サインなども手がけている人物です。

『乱暴者』(1953年)のマーロン・ブランドの写真。「ライダースにリーバイスの折り返したジーンズがカッコよかった。(共演した)リー・マービンもよかったねぇ」と。吉田さんは銀座で映画もよく観たそう。
国内外で集めた本なども。もうなくなってしまいましたが、晴海通りにあった「イエナ書店」に通い、洋書や洋雑誌などをチェックしたと吉田さん。

日本伝統の「刺し子」を後世に遺したい。

吉田さんが手にしているのが、5年間かけて庄内の刺し子を再現したピーコート(¥110,000)。新品ですがすでに風格を漂わせています。右に掛かっているのが、古い刺し子の生地を使って、ピーコートにリメイクした一点もの(価格未定)。
ボロボロになってしまった古い刺し子の生地をいろいろなテクニックで補修することは、絵の修復に似ていると吉田さん。

吉田克幸さんが「最後のライフワーク」として、いま取り組んでいるのが、日本伝統の「刺し子」の復興です。刺し子とは、綿布などを重ね合わせて一面に細かく刺し縫いすること、あるいは刺し縫いしたものをいいます。吉田さんは、よく地方を訪れるそうですが、東北・青森で訪ねた民藝館のイベントで、庄内地方でつくられた伝統的な刺し子に出合ったそうです。

「どんなに貧しくても、稗や粟があれば空腹はしのげますが、寒さだけは(着るものなしには)しのげません。刺し子はこの地でそうした思いで繕われていたものです。刺し子は、いろいろな場所にあります。秋田、青森、南の地方にもある。海外でもつくられていました。今回、とくに僕らが注目したのは、山形の庄内地方に伝わる刺し子です。これはデニム同様、世界に誇れるものです。これを蘇らせることをライフワークにしたいと思ったのです」

古い刺し子の生地を使ってリメイクしたジャケット(価格未定)はモダンささえ感じられます。11月末から伊勢丹メンズ館で展示販売する予定。
いい状態でしかもジャケットなどにリメイクできるような大きな刺し子生地はなかなか見つからない。「この生地、この糸からいろいろなことを学んだんですよ」と吉田さん。

ボロボロになった昔の生地を入手し、糸や織りの状態、染めに至るまで徹底的に研究したそうです。何度も試行錯誤を重ね、それぞれの分野のプロフェッショナルたちの協力を得て、吉田さんが満足いく生地がついに再現されました。5年間もかかったそうです。同時に古い刺し子の生地をそのまま使い、新しいアイテムへとカスタムした一点モノの作品も発表、この秋には、発売されるそうです。

「ようやく生地も、縫いも、再現することができました。これでスーツから、ピーコートベレー帽とかバッグなんかもつくってみたい。もしこれを着てボロボロになったら、ウチで直してまた着てもらうんです。イギリスの貴族なんかも、普段はツギあての入った服を着ているでしょ。本当はそうした着方のほうが、ずっと粋なんです」

前述のように、吉田克幸さんは、日本のファッション界のレジェンドともいえる人です。そんな伝説の人が次世代に遺したいと本気で取り組んだ刺し子。記憶に遺したいショップにふさわしい逸品ではないでしょうか。
まさに吉田克幸ワールドともいえる銀座のこのショップを堪能できるのもあとわずかです。気になる方はぜひとも覗いてみてください。(小暮真弘)

出来上がったばかりのカスタムされた刺し子ジャケットを着る吉田克幸さん。パンツも刺し子を藍染めしたものを着て。1枚つくるのに職人がひと月もかかる逸品。「刺し子は僕にとって、いまや信仰に近いものがあるんです」と吉田さんは愛おしくジャケットをながめながら話していました。

Porter Classic 銀座

東京都千代田区内幸町1-7 インターナショナルアーケード 第一アーケード内
TEL:03-5512-0510
営業時間:12時〜20時
www.porterclassic.com