ミヒャエル・ボレマンス、穏やかで不穏なシュルレアリスム

  • 写真:江森康之
  • 文:青野尚子

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週末の展覧会ノート Book 03:ベルギーの画家、ミヒャエル・ボレマンスの個展が原美術館で開催中。

ミヒャエル ボレマンスは1963年ベルギー出身のアーティスト。現在、ゲントを拠点に制作活動を続けています。もともとは写真を手がけていましたが、30代になってから画家に転向しました。といっても完璧主義者の彼は寡作です。世界中の美術館が彼の個展を熱望していますが、絵と同様、展示にも完璧を求めるボレマンスはなかなかOKを出しませんでした。彼の絵はとても人気が高く、描くそばからコレクターの手にわたってしまうことも展覧会の開催を難しくしています。その彼が自ら、「この美術館で個展をやりたい」と言ったのが原美術館でした。
「76年前に建てられた邸宅の雰囲気が残っているのが気に入ってもらえたようです。『パーフェクトだ』とおっしゃっていました」と坪内さんは言います。

原美術館の空気感を活かした展示構成。

『ONE』(2003年、70×60㎝、個人蔵)
エントランスを入って最初に目に入るのが『One』と題されたこの絵です。人体が半透明になっていて、向こうの景色が透けて見えます。描かれた女性はうつむいて、自分の手を見ているようですが、ほんとうはどこを見ているのかはわかりません。ボレマンスの描く人物はほとんどがこんなふうに目を伏せていたり、閉じていて、いつも視線ははっきりしません。
実際に描くときには家族や友人をモデルにすることもあるようですが、ボレマンスの肖像画はある特定の人物を描出しているのではありません。彼の肖像画について評論家の清水穣氏は「インティメイト(親密)だけれどパーソナル(私的)ではない」と表現しました。彼は画家とモデルの関係性を描いているのではなく、普遍的な“人間”という存在を描き出しているのです。
『Magnolias-(1)』(部分)(2012年、140x120cm、個人蔵)
『Magnolias-(1)』(モクレン)の背景をよく見ると、別の絵の下書きのような線が見えます。絵の具で描かれているのはタイトルの通り、モクレンの花ですが、消えかかった線は人物のようにも見えます。
「実際に見えているものの奥に、実体があるようでない、幽霊のようなイメージが描かれています。一枚の画面にレイヤーになっている花と背景の線はお互いに関連があるのか、ないのかもわからない。でもそれを明らかにすることは重要ではありません。ボレマンスは『作品はコミュニケーションだ』と言っています。観客が絵から何を感じ取ってくれるのか、それが彼にとっては興味深い事柄なのです」
『The Trees』(2008年、50×42㎝、国立国際美術館蔵)(左)
2つめの展示室でも空間の余白がたっぷりととられています。展示は来日したボレマンスが自ら、どの場所に何を飾るかを指示して決められました。画家の個展では作品を年代順に並べることもよくありますが、今回はそのようなやり方はとっていません。彼がもっとも重視したのは、この美術館がもともと持っているピースフルな雰囲気を大切にすることだったのです。
この写真の左側に見える絵は『The Trees』(木々)というタイトルです。でも、どこにも木は見あたりません。作家によると、女性が手に持つ白い板のようなものに木が描かれていたのだそう。でも消されてしまったのか、いずれにしても観客は描かれていない木を想像しながらこの絵を見ることになります。
この部屋には、ほとんど同じような構図の絵が2枚、並べてかけてあるところもあります。3月1日までギャラリー小柳で開かれている個展には手の動きだけが違う、ほぼ同じような構図の8枚の絵が出品されています。“絵画は唯一無二のものであるべき”という、既成概念を破壊しているのです。
『Girl with Feathers』(2010年、42×36㎝、個人蔵)
全てカンヴァスに油彩 ⓒ Michaël Borremans
ボレマンスはベラスケスやマネら、近代の画家たちの絵をよく研究しています。先ほどのモクレンの絵はいずれ枯れていく花が描かれているという点で、中世によく描かれた「ヴァニタス」(虚栄)を思わせます。咲き誇る美しい花もやがて朽ちていくように、若くて美しい少年や少女もいずれは老いて死へと向かう、という戒めです。
顔や服に羽が生えているようなこの絵はボレマンスの出身地、ベルギーで盛んだったマグリットやデルヴォーら、シュルレアリスムの絵画を思わせます。超現実的なイメージによって、見る者が思わず物語を生み出してしまうのです。

写真家としての美意識。

左から『Divided』(2006年、22.5×16㎝、個人蔵)、『The Beggar』(2013年、厚紙に油彩、26.0×19.0cm、個人蔵)、『Flesh Tower』(2013年、32.6×21.0㎝、個人蔵)、『The Quest』(2006年、22.3×30.0cm、個人蔵、MV COLLECTION BELGIUM)、『Retarders』(2002年、15.8×20.5㎝、個人蔵)記載の無いものは全て板に油彩
2階のこの展示室には小ぶりの板絵が並びます。ボレマンスの絵は技法やサイズにかかわらず、写真をもとにして描かれたものが多くあります。
「ボレマンスの絵は写真家と波長が合うようです。お客様の中にはボレマンスの絵が“わかる”という人と“わからない”という人がいらっしゃるのですが、“わかる”という方の中にはフォトグラファーの方が多いんです。ボレマンスは初期には、古い写真などをもとにして描いたりもしていました。最近では自分の頭の中にあるイメージを具現化するために写真を撮って、それをもとに描いているようです。だから写真家は、『このポーズを描きたかったんだ』というように、ボレマンスの気持ちがわかるようですね」
もともと邸宅だった原美術館は、朝の光がとりわけ印象的です。1階の、かつてブレックファストルームとして使われていた円形の部屋や、階段には朝の光がたっぷりと注ぎ込みます。この写真も朝が印象的な部屋の一つ。「季節にもよりますが、11時の開館と同時に来ていただければこの景色が楽しめます」と坪内さん。
正面の壁ではあえて、中心からはずして2枚の絵をかけています。向かって左側の壁にはほんとうはもう1点、小さな絵がかけられるはずでしたが、現場に来たボレマンスがはずしてしまいました。『Gone』という絵はカタログには収録されていますが、展示はされていないのはそういう理由です。「ゆっくりと呼吸するように、絵と空間とのリズムを感じてください」と坪内さんは言います。
『Wrench』(2001年、カンヴァスに油彩、70.0×60.0cm、個人蔵)
全てⓒ Michaël Borremans
この絵ではまたもや、視線をこちらに向けていない人物が描かれます。もちろんモデルが誰なのか特定することはできませんし、彼女が何を考えているかもわかりません。
「視線が描かれていないので、モデルの中ですべてが完結しているように感じられます」と坪内さん。
しかも首のところで切れてしまっているようにも見えます。ボレマンスの絵では他にも、胴体をすっぱりと切ってテーブルの上に載せたように見える作品がいくつかあります。
「残酷なように感じられますが、ボレマンスは単に人もオブジェの一つとして見ているのではないでしょうか。彼にとっては人もモノも等価で、同じ位置づけなのです」

わずかな作品で作り出す、芳醇な世界観。

左から『The Sheets』(2003年、40.0×50.0㎝)、『Prospects』(2003年、50.0×42.0㎝)、『The Trick』(2002年、50.0×42.0㎝)
2階の一番奥の部屋に並ぶ作品は比較的初期のもの。この写真に写っている作品は昔のサスペンスドラマか映画をもとにしているのでしょうか。画面も今よりも厚塗りです。どれもすでに美術館やコレクターの手に渡っていて、ボレマンス自身、久しぶりに目にした作品もあるそう。
「最後に初期の作品があるのは、原点に戻る感じもして、暗示的です」と坪内さんは言います。
『Red Hand, Green Hand(2)』(2010年、38.0×52.0㎝)
全て個人蔵 ⓒ Michaël Borremans
この2本の手の絵も謎めいていて、多様な解釈を誘います。
「2つの手が同一人物のものなのか、別々の人物のものなのか。もし同じ人の左右の手なら1人の人の二面性を表していると言えるし、2人の手なら文化や人種の違いや、人と人との出会いを暗示しているとも解釈できるでしょう」
今回の展覧会に並ぶのはわずか38点。でもボレマンスの作品がこれだけ揃うのはそうないこと。「最高の贅沢です」と坪内さんは言います。
「断片が集まることで、大きな世界観を一度に見ることができると思います」
でもやっぱり、何度見ても謎は深まるばかりです。
「毎日のように彼の絵を見ている私たちにとっても、不思議に思うことばかりです。あ、わかった、と思っても次の日にはまた謎に引き戻されてしまって、見るたびに発見がある。永遠に謎解きができる作品なんです」
美術館内のカフェ ダールで販売中の、作品をモチーフにしたケーキ
38点の珠玉の作品をじっくりと鑑賞したあとは、チョコレートでできたこの“断片”をどうぞ。原美術館のカフェ ダール名物、イメージケーキです。今回は胸に大きなリボンをした少女の絵がモチーフになっています。作品の余韻といっしょに、甘い記憶が残ります。